(吾妻鑑・建長三年(1251))「正月小十七日戊寅。天晴。相州の御第(時頼の邸宅)に於て放光佛像を供養せらる。導師は鶴岡別當法印(隆弁)。
又如意輪護摩を修せらる。是、皆御産の御祈り也。」
これは時頼の妻のお産の無事を祈って行われたものです。この効験ありて5月15日に生まれたのが元を撃退した名君時宗です。
隆弁は天台宗寺門派の僧侶・歌人。父は四条隆房・母は葉室光雅の娘。鶴岡八幡宮・園城寺別当・長吏、大僧正・大阿闍梨。北条得宗家と結びついて園城寺を再興xしています。建長四年(1252年)には新将軍として鎌倉に下ったばかりの宗尊親王の病を祈り恢復させています。