福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・16

2024-01-16 | 諸経

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・16

二に不虚を結ぶ。

「無盡意。觀世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬禮拜觀世音菩薩。福不唐捐。」

此れは身業の機に應じて、其の利益虚しからざることを結成し、兼ねては又疑いを釈するなり。其の疑に曰、既に禮拝供養すれば其の願満ずと云へり、而るに世間に數(しばしば)禮供すれども願滿ぜざる者多し如何。答て曰、至心ならざるが故に願滿ぜずと云へども、其の功徳遂に失することなし。是福不唐捐と云なり。唐は空しき義なり。捐は棄つるなり。此の中に初めに

「無盡意」等の十二字(無盡意。觀世音菩薩。有如是力)は上を結す。

「有如是力」とは上の七難三毒に二求両願(善き子寶を授かる願)の利益廣大なることを指す。

「若有衆生」の下(若有衆生。恭敬禮拜觀世音菩薩。福不唐捐)は疑を釈す。如上およそ一毫の善も必ず佛果に至り、少分の悪も必ず悪道に墜。唯力(つとめ)て衆善を修し諸悪を息むべき者なり。

 

三には持名を勧むるに三つ。初めは正しく持名を勧む。観世音の名号を受持せよと勧むるなり。

「是故衆生。皆應受持觀世音菩薩名號。」

「是故」とは上を抑て下を起こす詞なり。

「皆應」とは佛の大悲は一切衆生悉く皆名号を受持せんことを欲す意を明かす。

 

二格量。格量の二字は共にはかると訓ず。功徳をたくらべはかるを云なり。

「無盡意。若有人受持六十二億恒河沙菩薩名字。復盡形供養飮食衣服臥 具醫藥。於汝意云何。是善男子善女人功徳多不。」

この一段は格量の中に先ず佛の問ふなり。

「六十二億恒河沙菩薩名字」とは大佛頂首楞厳経の第六に曰、此の世界の中、世間に現住する諸の法王子六十二億恒河沙數ありと。(大佛頂萬行首楞嚴經卷第五菩薩萬行首楞嚴經卷第六「此三千大千世界百億日月。現住世間諸法王子。有六十二恒河沙數修法垂範。教化衆生隨順衆生。」)是本より娑婆に住せる菩薩あるが故に且く先ず挙ぐるなり。是持名の多きなり。又是福田の多きなり。

「復盡形」とは壽を限りに供養する相を明かす。故に是時節の多なり。

「供養飮食」など(供養飮食衣服臥具醫藥)は正しく供養の相を明かす。「飲食」とは二時の粥飯幷に非時の茶等なり。「衣服」は袈裟を云。「臥具」とは文の如し。「醫藥」は七日藥、盡形藥等を云なり。右此の四事の供養は種子多なり。已上の持名と福田と時節と種子との四多を以て已下の四少と格量するなり。「於汝意云何」の下(於汝意云何。是善男子善女人功徳多不。)も正しく佛の問ふなり。

 

「無盡意言甚多世尊」是は無盡意の答なり。文明なれば注せず。

「佛言。若復有人受持觀世音菩薩名號。乃至一時禮拜供養。是二人福正等無異。於百千萬億劫不可窮盡。」

是は佛正しく格量し玉ふなり。

「受持觀世音菩薩名號」とは、持名少き、又福田少なり。

「乃至一時」とは、時節少なり。乃至の二字に十年五年三年一年四月一月等の時分を含せり。

「禮拜供養」とは、「乃至一時」の禮供なれば種子少なり。

「是二人福正等無異」とは四多と四少を格量するに、其の功徳全く同じきを云なり。

「於百千」等の一十字(於百千萬億劫不可窮盡)は功徳無量にして窮めがたしとなり。

問、何が故にか観音一尊の名号を持すると六十二億恒河沙の菩薩の名を称ずると同等なるや。

答、是に三種あるべし。一に勝劣不同とは観音は過去已成の正法明如来、権に現じて等覚の菩薩の相を示し玉へり。六十二恒の菩薩は實の因人なるが故に劣の四多と勝の四少と其の福同等なり。たとへば國王一人の力、能く天下の民庶を伏するが如く、又一人の勇士能く千人に當るが如し。二に無勝劣とは平等法界には因果の異もなく、勝劣多少の品もなし。故に四多と四少とその量全く同じなり。此れは真如の理に約するが故に。天台の意なり。

三に秘密趣とは、六十二恒の名字も観音の名号も梵文に就いて云時は五十字門をば出ず。五十字も摂歸(おさめかえ)する時は阿字(梵字)をば出ず。阿字(梵字)は是諸法本不生なり。本不生の法は一塵に至るまでも皆万徳を具せり。豈彼此の勝劣多少を存ぜんや。但し此の義は仔細に工夫すべし。卒尒(そつじ)にすることなかれ。若し疎慢に解せば恐らく修行に怠ることあらん。

 

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