福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

修験宗旨書・・・24

2017-12-24 | 諸経
修験宗旨書・・・24
鈴懸事第四通(鈴懸は、真俗不二の衣で、本来俗衣であるが真理と世俗の世界が一つであることを顕す為に入峰修行の法衣として着る
夫れ鈴懸とは金胎両部の直質、入峰修行の法衣なり。凡そ當道の所談とは真俗不二當位即妙の内証なり。真俗二諦猶車輪の如し、一輪を欠けば即ち衆生を度す能わず。故に俗形を易えずして法衣を改めず、直に色心実相本有不改の法体を示す。秘記にいわく、鈴懸の鈴とはすなわち真言具足の鈴なり。これ南天の塔婆、衆生の体性なり。五鈷形は金剛界の五智、下の八葉は胎蔵なり。金胎不二自性法身の説法を表す(鈴懸とは、九布の上衣と八つの襞のある袴を白衣の上から着するもの。上衣を金剛界九会,袴を胎蔵界八葉の曼荼羅に擬し,金胎不二の小宇宙であることを示す。これは,修験者が不動明王や大日如来と同一であることを表す)。故に鈴とは行者の六大なり、六大とは周遍法界の塔婆、阿字不生の宝珠なり。宝珠とは自性天然の本心なり、この阿字不生の珠を以て両部直質の衣に繫け、金胎本有一乗菩提の峰を修行す。故に鈴懸と称す。経にいわく、「以無価宝珠繫著内衣裏」(法華経に、「譬えば貧窮の人 親友の家に往き至るが如し 其の家甚だ大いに富んで 具に諸の肴膳を設け 無価の宝珠を以て内衣の裏に繋著し 黙し与えて捨て去りぬ 時に臥して覚知せず 是の人既已に起きて 遊行して他国に詣り衣食を求めて自ら済り・・」とあり)と。既に知りぬ、衆生の胸間に法性無価の宝珠ありと雖も、群迷痴闇にして衣裏の宝珠を知らず、今修験の行者この心地に安住して一切衆生にこの実義を覚らしめんがために法衣の化名をなす。裏書にいわく、鈴懸とは法衣の総名なり。摺の衣とは別名なり。衣の文に盤石を摺る故に摺の衣と号す。口にいわく、衣の文に盤石を摺ることは,不動明王は大盤石に住して不動法性の内証を示したまう。今修験の行者、即身不動の妙理を顕んがために、衣の文に盤石をあらわす。或は青色、或は黒色なり。風空二大を表す。不動明王とは空をもって体となし、風を以て性となす。是則ち不動と行者と一体不二の義なり。記にいわく、黒色は梵字のうんじ、黒色の義、青色は虚空同体の義なり。次に柿の衣とは赤色無文なり。母胎八分の肉団の中に住む姿まり。悔悟得脱の前には即ち自性本分の心蓮なり。実に是れ無相法身の内証、不苦不楽の極位なり。次に、浄衣とは白地なり。神前奉仕のとき之を著す。その他にはこれを用いず。白色は和光同塵隨縁利物の義なり。裏書にいわく、上の九布は金剛界、下の八布は胎蔵界の八葉なり。行者は金胎不二なり、二の露は福智の二厳を表す。或は白色、或は青色、長さ定量なし。袴の後ろの三縮は三悪道、前の六縮は六波羅蜜なり。是則ち三悪道を離れて六波羅蜜の修行に趣く義なり。ひだを取る事は万行一致の修行を表す。結込は修行不乱の義、著籠は従因至果の体なり。右一一の表義、色心実相の内証、即事即理の極位なり。未修行の前に於いて頓に之を示す莫れ。

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