福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)51

2019-10-21 | 諸経
善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)51
五十番目、南方・法聚落  尸毘最勝婆羅門
無勝軍長者に「この城南において一聚落あり、これを名けて法、となす彼の聚落の中に婆羅門あり、尸毘最勝と名く、汝彼に詣でて問え・・」といわれ善財は漸次に南に行き、彼の聚落に至り尸毘最勝にまみえていつものように菩薩の道を問います。尸毘最勝婆羅門は以下のように説きます。十善戒の不妄語の徳と通じるものがあります。
「善男子よ、我菩薩の法門を得たり。【誠願語(じょうがんご)】と名く。過去現在未來の菩薩は是の語を以ての故にいまし阿耨多羅三藐三菩提に至る迄退轉あることなし。已に退きしことなく、現にしりぞくことなく、當に退くべきことなし。善男子よ、我誠願語に住するを以ての故に隨意に作すところ成滿せざることなし。善男子よ、我唯だ此の誠語の法門を知るのみ。諸菩薩摩訶薩は誠願語と行止して違うことなく、言は必ず誠にして未だ曾って虚妄ならざるを以て無量功徳は之によって出生す。」
ここも探玄記では「会縁入実相」とされ「聚落を法と名けるはここに在りて法を弘むるがゆえに。これ即ち法をあらわすがゆえに。・・誠願語とはこれに二義あり、一は初発心に従ひて弘誓の言を立て後に必ず言のごとくに行じて先言にそむかず、故に名く。二には菩薩行行ずる時、眼を施すの時、『悔いるやいなや』を問うことあり、『悔いず』というが如き、この言だれか信ぜん。即ち誓をたてて言はく『もし実にして虚ならずんば眼をして平復せしめよ』と、言の如く即ちいゆるが故に誠願語というなり。」とあります。「華厳五十五所絵巻」には「会縁入実相」の九番目ということで「第九知識」と書かれています。

6歳になる孫は外出してお土産に玩具をかって与えると「ママに叱られる」といいます。当方が「かくしておけばいいよ」といっても帰宅してすぐ親に報告して「ごめん」と謝ります。小さい子は隠し事は出来ません。しかし親も正直に報告されると怒ることは出来ません。孫の勝ちです。


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