今日9月15日は石清水八幡の放生会の日です。
放生会の起源は、日本書紀に「天武五年・・八月丙申朔丁酉、・・・是日、詔諸國以放生」とあるように天武天皇が8月17日に放生の詔を発せられたのに始まるとされます。石清水八幡宮では宇佐神宮より八幡神を勧請したのとほぼ同時期に放生会も伝わり、天暦2年には勅祭として執り行われるようになるなど、京都の年中行事の中でも重要な祭の1つであったとされます。しかし明治の神仏分離によって禁止されましたが、平成16年(2004年)、「石清水八幡宮放生大会」として有志等の手により137年ぶりに古来からの神仏習合としてのかつての放生会が復活しているとのことです。
「三宝絵詞」では「八幡の放生会」として「八幡の大菩薩はもと我が国の聖の御門にいます。弘仁14年の官符にいわく「神主大神浄丸おおみわのきよまろが申文にいわく『この大菩薩は是れ誉田の天皇(応神天皇)なり。昔欽明天皇の御代に、豊前国宇佐郡馬城の嶺にはじめてあらわれ坐す。そののち菱形小椋の山(現在の宇佐市の宇佐神宮の社地)に移りたまへり。今の宇佐宮これなり。天平三年にかしこき威験をのべあらわして、をおほやけに御幣みてぐらをたてまつれり。』
また辛嶋の勝の氏がたてまつれる古記にいわく、「八幡三所(応神天皇・比大神・神功皇后の三体)始めには廣幡大明神と申しき。今は護国霊験威力神通大自在王菩薩と申す。養老四年に大隅・日向両国に軍兵あり。祈り申すによりて、大神、公家の軍と共に相向かひて戦ひ給ひしかば、禰宜辛嶋勝波豆米かつはずめ、つかまるそのあたりをうちたひらげてかへり給ひぬ。ここに託宣ありてのたまわく『隼人等多くころしつ。その罪をうしなはむがために、放生会を年ごとに行ふべし』これによりて、諸国にいはれたまへる所々はかならず海辺川辺なり。みな放生会をおこなふ。やしろの僧俗・神社の司、あたひをもて、おほく海女をよび、すなどりする人の殺さむとする魚を買い取りて、僧をもて呪願せしめて水にはなつなり。」・・梵網経にいわく「人慈悲を以て放生せよ。六道衆生はみなこれ先の世の我が父母なり。殺して食ふものは我が父母を殺して食うなり。この故に常に放生を行え。もし世の人の畜生を殺さむをみん時は、方便してすくひ助けよ」ちのたまへり。(こののちに、六度集経には助けた亀が洪水を知らせてくれてその情報を王に告げた功績により大臣となった話。雑寶蔵経には沙弥が蟻を助けて命を伸ばした話、を紹介して)もし人位を得むと思はば放生をせよ、彼の亀を買ひしむくひを疑わざれ。もし人、命を延べむと思はば放生をせよ、彼の蟻を救ひし力をたのむべし」とあります。
放生会の起源は、日本書紀に「天武五年・・八月丙申朔丁酉、・・・是日、詔諸國以放生」とあるように天武天皇が8月17日に放生の詔を発せられたのに始まるとされます。石清水八幡宮では宇佐神宮より八幡神を勧請したのとほぼ同時期に放生会も伝わり、天暦2年には勅祭として執り行われるようになるなど、京都の年中行事の中でも重要な祭の1つであったとされます。しかし明治の神仏分離によって禁止されましたが、平成16年(2004年)、「石清水八幡宮放生大会」として有志等の手により137年ぶりに古来からの神仏習合としてのかつての放生会が復活しているとのことです。
「三宝絵詞」では「八幡の放生会」として「八幡の大菩薩はもと我が国の聖の御門にいます。弘仁14年の官符にいわく「神主大神浄丸おおみわのきよまろが申文にいわく『この大菩薩は是れ誉田の天皇(応神天皇)なり。昔欽明天皇の御代に、豊前国宇佐郡馬城の嶺にはじめてあらわれ坐す。そののち菱形小椋の山(現在の宇佐市の宇佐神宮の社地)に移りたまへり。今の宇佐宮これなり。天平三年にかしこき威験をのべあらわして、をおほやけに御幣みてぐらをたてまつれり。』
また辛嶋の勝の氏がたてまつれる古記にいわく、「八幡三所(応神天皇・比大神・神功皇后の三体)始めには廣幡大明神と申しき。今は護国霊験威力神通大自在王菩薩と申す。養老四年に大隅・日向両国に軍兵あり。祈り申すによりて、大神、公家の軍と共に相向かひて戦ひ給ひしかば、禰宜辛嶋勝波豆米かつはずめ、つかまるそのあたりをうちたひらげてかへり給ひぬ。ここに託宣ありてのたまわく『隼人等多くころしつ。その罪をうしなはむがために、放生会を年ごとに行ふべし』これによりて、諸国にいはれたまへる所々はかならず海辺川辺なり。みな放生会をおこなふ。やしろの僧俗・神社の司、あたひをもて、おほく海女をよび、すなどりする人の殺さむとする魚を買い取りて、僧をもて呪願せしめて水にはなつなり。」・・梵網経にいわく「人慈悲を以て放生せよ。六道衆生はみなこれ先の世の我が父母なり。殺して食ふものは我が父母を殺して食うなり。この故に常に放生を行え。もし世の人の畜生を殺さむをみん時は、方便してすくひ助けよ」ちのたまへり。(こののちに、六度集経には助けた亀が洪水を知らせてくれてその情報を王に告げた功績により大臣となった話。雑寶蔵経には沙弥が蟻を助けて命を伸ばした話、を紹介して)もし人位を得むと思はば放生をせよ、彼の亀を買ひしむくひを疑わざれ。もし人、命を延べむと思はば放生をせよ、彼の蟻を救ひし力をたのむべし」とあります。