正月の二十日には、土地によっていろいろの名がある。骨正月という語は近畿地方から、九州にかけて最も広く行われているが、これは正月用意の懸けの魚ももう終りになり、この日はいよいよその骨を卸して食べてしまうからの名と解せられている。実際骨叩き・骨おろし・骨くずしなどと名づけて、残りの魚を入れて雑炊を作ったり、大根などと共に煮て食う風も処々にある。北陸一帯から飛騨にかけては、この日を乞食の正月・ヤッコの正月、またはこれと近いいろいろの名で呼んでいるが、その意味はまだはっきりとしない。あるいはこの日ひもじい思いをすると、一年中食に飢えるという処も四国などにあるのを見ると、むしろ粗末なものでも思い切って、飽食すべき日ではなかったかと思う。
「正月二十日の棚さがし」という諺は、ずいぶん広い区域に亙って聞くことだが、これは必ずしも食えるものを掻集めるというだけでなく、この日正月神の年棚の飾りものを、いっさい取卸して始末することらしい。たとえば粟穂稗穂の餅を食ってしまうことを粟刈り、繭玉の餅を食うのを繭掻きもしくは繭ねりというの類である。しかしなおその以外に、麦飯正月と名づけて麦飯をうんと食い、あるいは出雲の大原郡のように、麦畠の上に蓑をしいてその上に転がり、
という唱え言をするのを見ると、乞食にまで正月をさせるほどの、食物の豊かなるべき日であったことが察せられる。信州の上田付近で、正月二十日をダマリ正月といい、この日は一日黙っているがよいという理由はまだ判らぬが、あるいはこの飽食の風と関係があったのではないかと思っている。この辺では恵比須講がやっぱりこの二十日で、恵比須様はこの日を済ませて、再び旅へ稼ぎに行かれると言い伝えている。
まだまだ多くの名称が正月二十日にはある。奥羽の一帯に古くから、この日をメダシの祝といって女の遊ぶ日になっているが、その趣意はまだ私には明らかでない。陸中の遠野ではこの日を麻の祝と名づけ、早朝に背の低い女の来ることをいやがり、来ると松の葉でいぶして祓いをした。その松の葉をヤイトヤキ、またはヨガイブシといっていたのは、めいめいがこれを手に持って村中をあるき、
と唱えつつ、自由にどこの家にも入って、自在鉤のあたりまでも燻しまわったからで、ヨガとは日中のカすなわち蚋に対して、夜の蚊をそういうのである。このまじないは他ではたいてい節分の晩に行うが、こうして二十日を用いる例も稀ではなかった。たとえば阿波の鷲敷で、「香の口やき」と称し、この日長虫の入らぬ呪いとして、灰を家の周囲に撒いていたなども、他の地方で節分の日に行う蚊の口焼きという行事とやや似ている。佐賀県東松浦郡の山村に於て、同じ二十日を蜂の養生というのも、蜂のためにはちっとも養生ではなくて、かえって一年中蜂に螫されても負けないようにというまじないかと思われる。ヌストシバ(盗人柴)と称する山の木を伐って来て、やはり家の周りに立てまわすことをそういうのである。あるいはこれをまた盗人防ぎともいうのを見ると、この佳節を期して予防の効果を挙げようとしていたのである。