蓮如上人は今日、明応8年3月25日(1499年5月14日)、山科本願寺において85歳で遷化されました。
蓮如上人の有名な『白骨の御文(御文章)』です。
「夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり、さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり、されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり、すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども更にその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり、あわれというも中々おろかなり、されば人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて念仏もうすべきなり、あなかしこあなかしこ」。
蓮如上人の有名な『白骨の御文(御文章)』です。
「夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり、さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり、されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり、すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども更にその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり、あわれというも中々おろかなり、されば人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて念仏もうすべきなり、あなかしこあなかしこ」。