福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今回のパリのテロで妻を失った夫のコメント(修正版)

2015-11-20 | 法話
今回のパリのテロで妻を失い1歳の子供と二人で後に残された夫のコメントが世界中に感動を呼んでいます
「・・・私は、彼女が私たちを常に見守っていると知っている。そして、私たちは魂の楽園で再び巡り合うことが出来ると知っている。
・・・私たちは2人だけだ。息子と、私。でも、世界中のどんな軍隊よりも強い。
・・・この小さな男の子が一生、幸せで自由であることは、君を恐れさせるだろう。なぜなら君は、彼の憎しみも得られないであろうから。」
この方は、このコメントを出しただけで全世界の憎しみとおろかさに勝ったと言えましょう。当方などこの数万分の一にも満たないちょっとしたことでともすれば恨み憎しみの心が芽生えるのですがこのかたのコメントを見て自分の愚かさが恥ずかしくてなりません。


これに似た有名な話を思い出します。法然上人も、9歳の時、美作久米の押領使であった父を敵対勢力の夜襲で失います。このとき父・漆間時国の遺言で「汝、仇を報ずることをやめよ。これひとえに余が先世の宿縁なり。わが傷痛み、苦しみはなはだし。されど今こそわが傷の痛み苦しみによって、他の傷の痛み苦しきことを知れり。汝、敵を憎み殺せば、敵の子もまた汝に刃を加えこの苦痛を与えよう。汝の子もまた敵の子を憎み刃を加えんとし、世々生々、殺し合い傷つけあうこと限りなくなろう。汝よ、敵を憎むことを捨てて出家し、高き立場より敵をも抱きてともどもに救われる道を求めよ。」と勢至丸(法然)に申し聞かせます。此の父の言葉が後に浄土宗を拓き無数の庶民をお救いになることになる法然上人を生みだしたのです。
十善戒でも「不瞋恚」が定められています。これに関連して
「憤兵は必ず負けるといわれている。真実の勇気は慈悲忍辱の心より起こるものであり、けっして憤怒よりでるものではない。(仏教大原理、釈雲照)」とか
「大忠、大孝をなさんと欲する者はすべからく因果応報の原理に則って、怨みに酬ゆるに徳を以てし、君・父をして真に天下に怨仇なからしむべし。これを真の大忠・大孝とす。もし仏教十善の真理に基きて至孝をなすものは、只だ父母に現世の快楽を与ふるのみならず、生々世々に互いに相愛し相歓んで自ら十善道徳の至孝を行じ、またよく父母をしておのずから十善因果の真理を信ぜしむるときは父母は進んで善根を増修してひいては一切衆生に及ぼすべし。もしこの如くなるときは至孝も大ならずや。(十善戒和讃略偈、慈雲尊者)」という説教がされています。

こういうことは頭では理解していてもその場になるとどうしても、愚痴と怒りの紅蓮の炎に包まれるのが凡夫の悲しい性です。ここに凡夫がいつまでたっても救われない理由があるのでしょう。

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