かなり以前ですが残念な出来事が続けておこったことがあります。そのうちの一つについては一か月以上前から加持祈祷をしていましたがその甲斐もなく・・という残念至極な結果でした。昔ならば「なんだ、なんだ、神仏はおわしてもやはり我々には関係なかったのだ」と反抗的になる所でした。しかし今回は違いました。考え方が一皮も二皮も剥けてきて、なんら神仏を恨む気持ちは出ず、むしろより深く懺悔しつつ拝めるようになりました。こういう風に気持ちを深めることができるようになったのは、「加持祈祷の原理と実修(三井英光)」に「・・時に思いがけない障碍のあらわれることがある。・・むしろ障碍があるほどますます(関係者・行者は)懺悔し、(行者は)修法すればかえって災い転じて大きな福となるのである。・・仏様は真の御親だから叱られても叱られても寄り添って拝みますます修行にはげめばついにはお蔭は雨の如く降ると知るべきである。」という言葉を見つけたためです。そして、意に染まない結果が出た後も、神仏を恨むことなく、三井師の指摘されているように懺悔と信心を更に深めたところ、いままでに味わったこともないような有難さがわきてきて、徐々に局面が転換しその後大変すばらしい結果が現れました。 山本玄峰師の「磨いたら磨いただけの光あり、性根玉でもなんの珠でも」というお言葉は本当でした。
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