弁惑指南巻一(続)
・・さて真実無妄の本不生とは、一切諸法おのおの一一に万法を具えたり。
若し有情(心あるもの)に就いて云はば、
今生には、人の形を顕したれば、外相に約して人となずくれども、
若し人、一念の瞋恚を起こすときは、即ち地獄の火なり。
一念の慳恡を発せば、即ち餓鬼の飢渇となる。
少分も愚痴を起すときは即ち、畜生の無知なり。
少分も我慢闘争を起せば即ち、修羅の心なり。
若し、五常を守り、五戒を持てば(五常は五戒にあたる。不殺は仁なり。不盗は義なり。不邪淫は礼なり。不妄語は信なり。不飲酒は智なり。)即ち、当分、人道の常なり。
一食の頃なりとも十善戒をまもり、或いは四善四無色定を修するは天道の心なり。
若し、四諦を修行する心を起して、三界を厭うは声聞なり。
若し十二因縁を観じて生死を離れんとねがうは縁覚なり。
若し自ら利し、他を利する心おこらば、則ち、菩薩なり。
若し諸法の本不生を観ぜば、則ち、仏の心なり。
かくのごとく、一人の心に、もとより、十界を具へたり。自余の九界の有情にも亦各の本より余の九界を具えたり。
・・さて真実無妄の本不生とは、一切諸法おのおの一一に万法を具えたり。
若し有情(心あるもの)に就いて云はば、
今生には、人の形を顕したれば、外相に約して人となずくれども、
若し人、一念の瞋恚を起こすときは、即ち地獄の火なり。
一念の慳恡を発せば、即ち餓鬼の飢渇となる。
少分も愚痴を起すときは即ち、畜生の無知なり。
少分も我慢闘争を起せば即ち、修羅の心なり。
若し、五常を守り、五戒を持てば(五常は五戒にあたる。不殺は仁なり。不盗は義なり。不邪淫は礼なり。不妄語は信なり。不飲酒は智なり。)即ち、当分、人道の常なり。
一食の頃なりとも十善戒をまもり、或いは四善四無色定を修するは天道の心なり。
若し、四諦を修行する心を起して、三界を厭うは声聞なり。
若し十二因縁を観じて生死を離れんとねがうは縁覚なり。
若し自ら利し、他を利する心おこらば、則ち、菩薩なり。
若し諸法の本不生を観ぜば、則ち、仏の心なり。
かくのごとく、一人の心に、もとより、十界を具へたり。自余の九界の有情にも亦各の本より余の九界を具えたり。