福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

連休中に四国60番から64番への超短期遍路をしてきました。

2012-05-04 | 講員の活動等ご紹介
四国に4年ぶりに4回目の遍路に行ってきました。とはいっても今回は日程の都合で60番から64番まででアッというまの巡拝でした。しかしやはり本四国は違います。2日だけの、恥ずかしいくらに短い日程でしたが四国の奥深い霊妙さに改めて驚嘆させられました。ことばではあらわません。それこそ体験した者のみが分かる霊妙さです。
その一端を記録しておきます。

今回は四国で唯一の毘沙門様がご本尊で、当方も常日頃祈願をこめている63番吉祥寺を真っ先にお参りし、そのあと62番宝寿寺へまわりました。ここはお大師様が光明皇后を模して十一面観音様を刻まれてご本尊とされています。また国司夫人の難産を境内の井戸水で加持して救い「さみだれのあとに出でたる玉ノ井は 白坪なるや一の宮かな」と詠まれています。さらに至近距離の61番子安大師香園寺へおまいりし、加持をしていただきました。ここはときどきこのブログに出す山岡瑞円師が明治36年住職をされて以来子安講を世界にひろめ妊婦さんの味方となってきたところです。最盛期には朝鮮半島、台湾、満州、アメリカまで20万人の講員がいたといいます。学園経営までしていました。結婚後22年して子宝をさずかった例もあると報告されています。大伽藍の廊下はお礼に送られてきた無数の赤ちゃんの写真で埋め尽くされていました。

当日は宝寿寺まえの瀟洒な遍路宿に泊まりました。おかみさんは75歳でしたが、御主人を亡くされたのち宿を一人で切り盛りされていました。夕方このおかみさんがわざわざ来室され、この宿を作るときの霊験談を話してくれました。それによるとここの土地の購入を迷っているとき夢でお大師様がこの土地の上に立って手招きをされたそうです。それで翌日すぐ手付を打ったらそのあと数日でバブルの余波でここも土地が暴騰したというのです。ちなみにこのおかみさんは母親がすぐちかくの62番宝寿寺に日参して42歳でできた子でお大師様の申し子と言われたそうです。本人も2回歩き遍路したといっていました。「お遍路さんはみなお大師様と思うている」と言って格安の宿代でした。

翌日雨の中ここから香園寺を通り、横峯を目指しました。以前香園寺からやはり横峯をめざしたときどうしても道がわからなくて結局吉祥寺から車道をのぼっていったということがあったので今回はこのみちを是非登りたいと思っていました。昨日香園寺の僧侶の方にきいて奥の院までいってみたので今回は自信満々でした。行きに5時前のまだ薄暗い香園寺に再度おまいりすると子安大師様はライトに照らされて大きくわらっておられました。大変ありがたい気持ちがして本堂にも深々と合掌して出かけました。実は左足膝と右足指が傷んでこんな状態で横峯が登れるのかと心配しているのですがこの大師様の笑顔で大丈夫と思いました。不思議なご縁を感じるお寺です。

しばらくいくと車道から草深い遍路道に入ります。香園寺から横峯さんまで9,5キロくらいとされます。山道もよく整備されていて以前台風で崩壊していたとされる崖道には鉄の橋が渡してあります。ここまでこの重い鉄の橋をどうやって運んできたのかその努力には頭が下がります。

遍路道は急峻なのぼりと緩やかな道との繰り返しです。急坂で息が切れてもう休もうと思っていると少し下りになってホッとしたり、ほっとしてこんな道ばかりですぐ着くのかなとおもっていると急坂続きになって息が切れそうになったします。昨日の遍路宿のおかみさんが「人生も遍路道と同じやで」と若者遍路に諭していたのを思い出しました。なぜか「吉凶はあざなえる縄の如し」という言葉も思い出します。以前この横峯寺への道で先達が心臓麻痺を起して亡くなったと聞いたことがありました。「道」は大変なものです。

また山道には分かれ道が多くありますがその都度道しるべが遍路を導いてくれます。道標のなかった昔は道に迷って山中で亡くなった遍路も多かったことと思います。今はありがたいことです。突然翻って現代の日本国民も間違った道標や、いい加減な道標のおかげで集団遭難直前ではないかと感じました。

また歩いているうち「昔は業病難病などの人生苦にあえぐ人たちがこの山道を何万人も通ったのだろうなあ、このひとたちはそれでもこういう山道を喘ぎながら登っているときが唯一苦難から解放され救われているときだったのではないだろうか?」という考えも浮かんできたりしました。山本玄峰老師が何度も遍路されたという話や、「遍路して業障を消除すべし」という言葉を思いだしたりもしました。

6時ころ向こうから若者が降りてきました。まだ横峯では納経してくれないのにどうしたのでしょう。宿もないのになぜこんな早く横峯から降りてくることができるのでしょう。不思議な若者でした。4年前のやはり閏年の逆打遍路では言葉にできない有難い出会いが2度もありましたが今回もそれに近い感じがしました。

横峯寺では本堂は解放されていて堂内で拝めました。こういう雨の日は有難さ一入です。大師堂も縁に坐して理趣経一巻をあげます。こういうところまで来て千年以上前からのお寺でこうして拝めていることそのものがいつもながら信じられないくらい有難いことに思えてきます。四度目のおまいりですがまさにこうして四国霊場にいることが自体が奇跡としか思えません。

横峯寺の帰りは吉祥寺へ出るいつもの車道をあるきました。今回驚いたのは、大ミミズが車道に無数に這い出してきて、それが無慚にも次次とお参りの車に轢かれていることです。途中まではできるだけまだ生きているミミズを枝で掬って草むらに帰してやっていましたがきりがありません。またいろいろ考えさせられました。お参りに来て車でミミズを轢き殺すという『殺生』を犯すことはどう考えればいいのか。道を作った事が悪いのか、車で来る人が悪いのか、出てくるミミズが悪いのか。それともミミズも遍路の車に轢かれて成仏し来世は善処に転生できるのか。こんなことを取り留めもなく考る途中、黒瀬湖につき、茶屋のおじさん達がコーヒーとおまんじゅうを接待してくださり、一息つきました。このおじさんたちによるといままでこのようにミミズが大量に出てきたことはないというのです。私も四回目にしてはじめて横峯のミミズの大軍をみました。

お礼を言い歩き始めましたが、横峯からふもとの吉祥寺まで十三キロあります。以前は平気だったのですが今回は雨で靴も水浸し、合羽を着ているため体は汗だくです。メガネは汗と雨で曇って見えません。足の痛さもあり何度も休まざるをえませんでした。体が限界状態になると何も考えられません。考える力もなくなってくるのです。こうなるとミミズを助けるどころでなく自分の足を一歩ずつ前に出すだけで精一杯です。ちょっとした体調の変化で自分のことで精一杯になります。情けない勝手な遍路です。

やっと再度吉祥寺をお参りし、前神寺もお参りできました。前神寺は白雉二年(651年)役行者が星が森で修行中蔵王権現を感得し開創された寺。その後、桓武天皇の病気を平癒させたことにより金色院前神寺の称号を下賜されたといいます。横峰寺とともに別当寺とされ、 歴代天皇の帰依を集めています。この前神寺の本堂や大師堂で坐してお参りしているとき、なぜか深い安心感にとらわれました。

実は東京にいるときは日本の将来が不安で仕方ありませんでした。いつ大地震が起きるかわからないし、地政学的には米・中という巨大覇権主義国家に挟まれ、また朝鮮半島という一触即発の地域に隣接しているのに、確たる信仰心も持てない国民・指導者は弛緩しきっており、これから日本はどうなっていくのか暗澹たる気持ちで一杯だったのです。

しかし不思議と四国の辺地で霊場に跪き神錆びたお堂を見上げて読経していると、理由もなく深い安堵感におおわれるのでした。

とりあえず以上が今回の極短遍路のまとまらない感想です。

いずれにせよこんな短期体験でも全く異次元の世界から帰ってきた感がしていることも確かです。改めて四国八十八所の持つ霊力に驚かされている次第です。





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