御大師様は先祖の徳に報いるには仏前に読経することが必要とされています。
「三宝をたのまずんば何ぞ岳涜(がくとく、高く深い恩)を答せん。謹んで高雄の道場において妙法を転読し、金仙(仏)を礼供す。伏して願わくはこの善業に乗じて彼の逝けい(逝ける霊)を運ばん。」(続性霊集八巻、「藤左近将監、先妣の為に三七の斎を設くる願文」)
続性霊集八巻、「藤左近将監、先妣の為に三七の斎を設くる願文」
「先師に聞けり、色を孕むものは空なり、空を呑むものは佛なり。佛の三密何処にか遍ぜざらん。佛の慈悲、天の如くに覆い、地の如くに載す。悲は苦を抜き、慈は楽を与う。いわゆる大師、豈に異人ならんや。阿里也摩訶昧怛羅冒地薩埵(ありやまかまいたらやぼうじさった、弥勒菩薩のこと)すなわちこれなり。法界宮に住して大日の徳を輔け、都史殿に居して能寂の風を扇ぐ(胎蔵曼荼羅中大八葉院の弥勒菩薩の座に座り兜率天に住み釈迦の教えを盛んにする)尊位は昔満じたれども、権に宸宮に冊す(弥勒は覚ったが衆生済度の為釈迦の東宮としてつぎに世に出る地位にいる)元元を子として塗炭を抜済す(衆生を子とみなして苦しみを救う)。無為の主宰(無為にして化すという主体を)誰かあえて名つ゛け言はん。
伏して惟んみれば従四位下藤氏、旦には四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を瑩きて、晩、三宝を崇む。朝に閻浮(この世間)を厭いとい、夕に都率を欣う。身は花と共に落つれども、心は香とともに飛ぶ。冀うところは時、椿葉に攀ず(長寿の喩え)。数しば仙桃を嘗めんことを。誰か期せん、秋の葉は落ちやすく夜の燈たちまちに暗からんことを。面華写らずして鵲の鏡悲しむ(しゃく、かささぎを刻み付けた鏡)。娥影消えて窓の月怨む。
逝者は烋楽(きょうらく、仏の世界をたのしむ)し、留とどまる人(のこされた者)は苦しむ。痛ましいかな、苦しいかな。弟子ら早く荼毒(とどく、ニガナの毒)に丁って擗踊して居り難し(躍り上がって苦しむ)。天に号び地をたたいて肝腐ち、心爛らす。てい管(光陰)長く運って三七たちまちに臨む。三宝をたのまずんば何ぞ岳涜(がくとく、高く深い恩)を答せん。謹んで高雄の道場において妙法を転読し、金仙(仏)を礼供す。伏して願わくはこの善業に乗じて彼の逝けい(逝ける霊)を運ばん。心蓮池に発け、覚蘂(かくずい、悟りの花房)九殿(九品蓮台)に開けん。法界はすべてこれ四恩なり。六道誰か仏子にあらざらん。怨親を簡ばず、ことごとく本覚の自性に帰らしめん。