「凡夫が、木葉で自分の器に映る月を覆って月はないと言いはってみても、他人の器には月がはっきりと映っている。このように凡夫が自分の仏性を「迷い」で覆って「仏性などあるものか」と言ってみても他者の仏性まで隠すことはできない。」
「同じように、自分がお陰を受けれないからと言って、お陰などあるものか、といってみても、他者がお陰を受けている事実を否定はできない。」(T師)
「同じように、自分がお陰を受けれないからと言って、お陰などあるものか、といってみても、他者がお陰を受けている事実を否定はできない。」(T師)