福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

芦刈さんの「涅槃会参拝記」

2010-02-17 | 開催報告/巡礼記録
「涅槃会
 日時 平成22年2月15日
 場所 護国寺本堂
 参会者 福聚講講員 高原師以下12名 他の参会者を含め70~80名
 氷雨が降り冷気漂うなか、正面に涅槃図ありて
  10:50 喚鐘の音
  11:00 再度喚鐘の後、御前様以下7名の僧入堂
    涅槃図の前にて諸作法 声明が朗々と
    般若心経、観音経読経 光明真言を唱えながらお焼香
    南無釈迦牟尼仏 南無大師遍照金剛・・・の唱名
  11:25 諸作法後終了 御前様以下退堂
  11:30 御前様説話
    涅槃(ニルヴァーナ)はサンスクリット語で「静けさ」「安らぎ」
    有余涅槃(うよねはん)~肉体のあるうち、生きているうちは悟りを開いても苦しみは絶えない
    無余涅槃(むよねはん)~入滅して本当の安らぎを得る
    お釈迦様の修行、悟り、転法輪、入滅の一生 最期の病は布施を受けたキノコによる下痢、赤痢(?)
    涅槃図の説明
     クシナガラのサーラ(沙羅)の樹の下で、(図のような寝台ではなく)筵のようなものの上で、黄色の毛布を纏って
     ~入滅時には金色に輝く
     なぜ2月~春に備え、花が咲き、芽がふく準備→世の中は変わっていくこと
     なぜ15日~満月→仏の教えは欠けるところなし、曇るところなし
     近くの跋堤河~全てのものは流れ行く、人の命も
     最期に「お水が飲みたい」と~川の泥水が清水に→「末期の水」
     「四枯四栄」(しこしえい)
       足元の4本のサーラは枯れている。自らお示しになった死を悼んで
       枕元の4本のサーラは青々としている。いつまでも教えが拡がっていくこと
       肉体、命は消えるが、教えは永遠に
     最期の教え 「自灯明。法灯明」
     涅槃図には様々な動物や植物も描かれており、全ての命を大切にしようとの意味が込められている。
  12:15 説話終了

  その後高原師から
大般涅槃経によれば涅槃は2重構造になっていること
即ち第一段階ではお釈迦様が入滅のお姿をしめすことで俗世の煩悩にまみれている衆生に諸行無常を説諭し、更に第二段階に至り諸行無常に苦悩する衆生に対し、すべての衆生がもつ仏性(他者のために尽くす精神)に目覚めれば常楽我浄の世界にはいることができると説かれていると説明があった。
さらに曼荼羅図の前では曼荼羅は悟りの世界をあらわすといわれるが胎蔵曼荼羅は我々の身体的なものを、金剛界曼荼羅は精神的なものを表すということ。金胎不二であること。ともに大日如来の徳を衆生に及ぼすという向下門と衆生が悟りを求めていくという向上門の2重構造になっていること。曼荼羅に入りその徳をいただくためにはわれわれが仏性に目覚めることがポイントであること、などの解説をいただいた。
2次会は門前の「ジョナサン」で延々3時間近く話し込みました。講員相互の深い体験談を語り合い非常に充実した2次会でした。
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