史料綜覧 巻十三 / 慶長六年(1601)閏十一月二日条
「二日(中略)是ヨリ先(慶長五年のことか)豊臣秀頼 摂津天王寺ヲ再建ス 是日 同寺秋野房(注1)ヲシテ寺務ヲ執ラシメ 又退散セシ寺僧ノ復帰ヲ許サシム」
(注1)僧侶集団の一の名称・寺の財務等を司ったか
(以下ウキぺデアに依ります。四天王寺は天正4年(1576年)5月には織田信長による大坂本願寺攻め、いわゆる石山合戦のうちの天王寺の戦いにより、織田軍に火を付けられて全焼している。その上、寺領を全て没収されている。天正12年(1584年)には金堂が建立された。文禄3年(1594年)から豊臣秀吉によって復興が行われ、単層の金堂が重層に改築され、ほかの堂舎も再建された。慶長5年(1600年)には豊臣秀頼によって大和国額安寺から五重塔が移築され、4代目の五重塔としている。また、庚申堂なども再建されている。)