「日本国体の研究・田中智学」「・・日本だけにしかない「國體」とはどんなものか、・・日本の外には全く無いといふ建國の主義、それが國家の定範となり民族の精神となって、世界に対する何物かの使命を帯びて立っている、その「國體」を日本國家の主義精神とする。・・然らば、その建國の主義とは果たしてどんなものかといふに、この「日本」といふ國は人が擇んだのではなく、神が擇んだのである、神とは吾々の先祖にして,道の體現者たる大先覚者である、その神が自身の高潔なる境涯や功徳を、人類の上にも及ぼしたいといふ慈悲からして、どうかその方法をと工夫あられて、自らの代理者を降すことになり、・・この日本といふ國は、即ち天の仕事を行ふに適した場所として撰りだされた國であるから、即ち「道の國」「天業の國」「神の國」といふことになる。これが建国の主義の根本となっているのである。それ故、神武天皇が國の基を固められた時にも、この「神の事業」といふことに重きを置かれて、それを「正」の一字で言ひあらわしてある。天照大神の神勅には『王道』といはれ、(「日本書紀」天孫降臨の段で、天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した三大神勅があります。「1、天壌無窮の神勅 - 『葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ』。2、宝鏡奉斎の神勅 - 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。3、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 - 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。」であります。このうち1、の中に『王』とでてきます。)神武天皇それを受けて『正』といはれた。(日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」に「上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。(上は乾靈(アマツカミ=天津神)が私に国を授けられた徳に答え、下は皇孫に至る迄正しい道を広めよう。その後に六合(クニノウチ=東西南北と天と地を合わせて六合)を一つにして都を開き、八紘(アメノシタ、八方向、世界)の隅々まで「宇(家)」にすることは、良いことである)」とあります。) これが日本の主義である。その主義のために建てられた國である。故に之を「日本國體」と称して当体に名を立てたのである。・・日本の仕事は「正を養ふこと」即ち正を護ることにある、それが日本の建てられた目的である・・」それでは「正」といふものはどんなものであるか、正といふことは、「真」といふことである。・・
「日本国体の研究・田中智学」