福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

葬儀の簡略化

2017-03-17 | 法話
宮型霊柩車がきえていくという記事がありました。しかし東南アジアではこれが人気ということです。 

葬儀の簡略化ということがいわれて久しくなります。かっては死者は自宅に安置して枕飾りし、通夜には檀那寺の住職に枕経をあげてもらい、その晩は家族等が死者の前で夜伽をしたものです。基本的に葬儀はお釈迦様の荼毘の様子を真似して死者に成仏してもらう大切な儀式でした。
しかし2000年頃から簡素化が始まり、自宅安置が消え斎場や遺体保管室に直行しその結果、枕経が省略されることになります。そして今や枕経も通夜も火葬後の法事も姿を消していく傾向です。また葬儀ではかって正面に掛けられていた死者を導く十三佛の掛け軸も消え、死者の写真のみが大きく飾られています。導師はお経を読んでも説法もせずそそくさと退席します。また僧侶も呼ばず家族のみですぐに火葬する直葬も増えているといいます。
これらの傾向を分析すると、経済的理由以外に、生きているものにとって不吉な「死」をできるだけ見ないようにしたい、おぞましいものからは距離を置きたい、という現代人の身勝手な考えが浮かび上がります。しかし死を直視しなければ死は来ないかというと全ての生物は死ななくてはなりません。これを無視したからと言って死なずに済むということにはなりません。死は人生最大の出来事です。死者をどう供養するかは古今東西の文化の最大テーマでした。これを無視するのは野蛮の極致です。
この延長線上に、相模原の障害者殺傷事件や社会的弱者へのいじめ等のおぞましい事件が繋がっている気がします。共通するのは極端な時間的空間的視野狭窄と自己中心主義です。相手の立場に立つ余裕がないのです。社会の退廃の極致です。今の日本ではほとんどの死者は浮かばれなくて、「鬼」となって中空を彷徨っているのではないでしょうか。
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