福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大智度論・・18

2019-11-22 | 諸経
(大智度論釋初品中戒相義第二十二之一)(五戒と八戒の一日戒どちらが優れるか

問曰「五戒 (不殺生、不偷盜、不邪淫、不妄語、不飲酒)と一日戒(八戒の不殺生、不偷盜、不邪淫、不妄語・不飲酒香油塗身戒・歌舞観聴戒・高広大床戒・非時食戒を一日守ること)、何者か勝れたるとなすや」。答曰「因縁あるがゆえに二戒倶に等し。但だ五戒は終身持つ。八戒は一日持つ。又五戒は常に持てども時は多くして戒は少なし。一日戒は時は少なくして戒は多し。復次に若し大心なければ復た終身持戒といえども大心ある人の一日持戒に如かざる也。譬ば軟夫を將となせば復た將兵を持つこと終身なりといえども智勇不足してつひに功名無きが如し。若し英雄奮發すれば禍亂立ちどころに定まり一日之勳功蓋天下のごとし。

是の二種の戒は居家優婆塞の法と名く。居家の持戒に凡そ四種あり。下・中・上あり。上上あり。

・下人の持戒は今世の樂のための故なり。或は稱譽名聞を怖畏するが故なり。或は家法を曲げて他意に随はんが故なり。或は苦役を避けて危難を離れることを求める故なり。如是の種種は是れ下人の持戒なり。

・中人の持戒は、人中の富貴歡娯適意の為のゆえなり。或は後世の福樂を期し剋己し自ら勉て苦しむがために、日は少くとも所得は甚多なり。如是に思惟堅固にして持戒せば譬ば商人の遠出して深入すれば得利必ず多きが如く、持戒の福は人をして後世の福樂を受けしむるも亦復た如是なり。

・上人の持戒は涅槃の為の故なり。諸法は一切無常と知る故なり。離苦常樂無爲ならんと欲するが故なり。

復次に持戒之人は其心悔ひず。心悔ひざるが故に喜樂を得る。喜樂を得るが故に一心を得る。一心を得るが故に實智を得る。實智を得るが故に厭心を得る。厭心を得るが故に離欲を得る。離欲を得るが故に解脱を得る。解脱を得るが故に涅槃を得る。

如是の持戒を諸善法の根本となす。復次に持戒は八正
道の初門なり。入道の初門は必ず涅槃に至る。
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