福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その82

2019-11-22 | 十善戒
この人の世界に在る。上たる者は上相応の利あり。下たる者は下相応の利あり。君子は君子相応の利あり。小人は小人相応の利あり。是を互いに奪うべからずじゃ。禄位官爵にも此の戒あり。智愚にも此の戒あり。佛法僧三宝の境にも此の戒あり。地水火風空の五大に於ても。各此の戒具ると云ふことじゃ。

此中に上相応と云は百官の富。宮室の美。南面拱手して萬國の主となり。一人を以て億兆の上に居す。山海の珍味。華夷の玩好。目前に羅列する類じゃ。下の利と云は。史記にある。安邑千樹の棗。燕秦千樹の栗等。此其人皆千戸侯に斉しと云類じゃ。(「年間に千本の木材を伐採できる山林、安邑の千本の棗、燕・秦の千本の栗、蜀・漢・広陵の千本の橋、淮北・常山以南および黄河・済水の間の千本の萩、陳・夏の千畝の漆畑、斉・魯の千畝の桑畑かまたは麻畑、渭水流域の千畝の萩、以上のいずれかを所有している人々は、千戸の領地を持つ諸侯と等し。       (『史記』巻百二十九貨殖列伝))


又商か(西の下に貝)などが。時をはかり処をはかりて。動もすれば一時に千金の利を得る類じゃ。山の利とは。材木菓實など。山住の民。此に生涯の樂を全するじゃ。海の利とは。魚盬海藻の類。海邉の民。此に生涯の樂を全くするじゃ。

又古書に。君子奇子の類が。廊廟の上に居れねば医占の中に隠ると云類。此も其道を失はねば相応に俸禄褒賞を得る。自余の遊民芸術者が。学才文辞。詩歌伎楽等にて。世に用ひられて利を得る類。又小人の駅店に走り河海に航し。力を用ひ身を労して利を得るなども。面白き世の有様じゃ。

詩経に。彼に稲穫ざるあり。此に稲斂るあり。彼に秉(へい)遺れるあり。此に穂滞れるあり。これ寡婦の利と。(詩経/小雅「 かしこに、刈らざる稲あり。ここに収めざる刈り稲あり。かしこに残れる稲束あり。ここに残れる穂あり。これ、寡婦の利なり。
『彼有不穫稚・此有不斂穧・彼有遺秉・此有滯穗・伊寡婦之利』)


此など世治り民も穣に。寡婦の類まで其の所を得る。面白きじゃ。
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