Aー3/3,戒を授かって戒名を付けることについて・・・結論は、印度以来戒を授かると戒名を付けることとされてきたということです。
戒名の起源には三つの説があります。「釈尊帰一説」、「中国習俗帰源説」、「印度発展説」です。しかしいずれにせよお釈迦様の弟子になった証拠に戒名をつけるという点は共通です。
参考までに三つの説を書いておきます。
ア、まず釈尊帰一説です。お釈迦様の時代、出家して戒律をうけるとみな釈という姓にしました。
『増一阿含経巻二十一』に「たとえばもろもろの大河あり。いわくガンガー、ヤムナー、アチラヴァテー、サラブー、ミヒーなり。これらは大河に至らば前の名姓を棄ててただ大河とのみ号す。かくのごとく、バハーラーダよ、クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラの四姓あり。彼等、如来の説くところの法と律とにおいて出家せば前の名姓を棄ててただ沙門釈子とのみ号す」とあり、また『高僧伝巻五道安伝』には「初め、魏晋の沙門は師によりて姓となす。故におのおの同じからず。道安もって大師の本釈迦より貴きはなしとし、すなわち釈をもって氏に命ず。後に増一阿含を得るに果たして称せり。四海に入りてまた河名なし。四姓沙門となり皆釈種を称すべしと。すでにはるかに経て符す。ついに永式となす」とあります。
イ、 次に中国習俗帰源説です。中国では古来名のほかに字(あざな)ももっていてこれを戒名にしたとするもの。湛然は荊渓に住んでいたので其の居場所をさして「荊渓」といわれました。他にも「南嶽」「青原」「百丈」「黄檗」「天台」「慈恩」などおおくの例があります。
ウ、3番目の印度発展説は、戒名は経典の「授記」の思想から発展したと見る説です。これは将来、佛号、法号を授けられて佛になることを保障することをいいます。教団にはいり仏弟子となれば階級差別の激しいインドでも平等に佛号をさずけられたのです。法華経法師品に「仏前において妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我また阿耨多羅三藐三菩提(正覚)の記(佛号、法号)を与え授く」と法号授与の資格まで示されています。日本史上最初に聖武天皇が「勝満」という戒名をつけられたのもこのためかと思われます。
戒名の起源には三つの説があります。「釈尊帰一説」、「中国習俗帰源説」、「印度発展説」です。しかしいずれにせよお釈迦様の弟子になった証拠に戒名をつけるという点は共通です。
参考までに三つの説を書いておきます。
ア、まず釈尊帰一説です。お釈迦様の時代、出家して戒律をうけるとみな釈という姓にしました。
『増一阿含経巻二十一』に「たとえばもろもろの大河あり。いわくガンガー、ヤムナー、アチラヴァテー、サラブー、ミヒーなり。これらは大河に至らば前の名姓を棄ててただ大河とのみ号す。かくのごとく、バハーラーダよ、クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラの四姓あり。彼等、如来の説くところの法と律とにおいて出家せば前の名姓を棄ててただ沙門釈子とのみ号す」とあり、また『高僧伝巻五道安伝』には「初め、魏晋の沙門は師によりて姓となす。故におのおの同じからず。道安もって大師の本釈迦より貴きはなしとし、すなわち釈をもって氏に命ず。後に増一阿含を得るに果たして称せり。四海に入りてまた河名なし。四姓沙門となり皆釈種を称すべしと。すでにはるかに経て符す。ついに永式となす」とあります。
イ、 次に中国習俗帰源説です。中国では古来名のほかに字(あざな)ももっていてこれを戒名にしたとするもの。湛然は荊渓に住んでいたので其の居場所をさして「荊渓」といわれました。他にも「南嶽」「青原」「百丈」「黄檗」「天台」「慈恩」などおおくの例があります。
ウ、3番目の印度発展説は、戒名は経典の「授記」の思想から発展したと見る説です。これは将来、佛号、法号を授けられて佛になることを保障することをいいます。教団にはいり仏弟子となれば階級差別の激しいインドでも平等に佛号をさずけられたのです。法華経法師品に「仏前において妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我また阿耨多羅三藐三菩提(正覚)の記(佛号、法号)を与え授く」と法号授与の資格まで示されています。日本史上最初に聖武天皇が「勝満」という戒名をつけられたのもこのためかと思われます。