福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

御大師様の先祖供養についてのお考え・・4

2019-06-04 | 先祖供養
御大師様の先祖供養についてのお考え・・4
・性霊集巻七「菅平章事(菅野真道という参議)の為の願文」、ここでは四天王の像を造ったことで天皇の病気が治り、阿弥陀仏の像一躯、観世音菩薩、得大勢至菩薩の像を造ったことで父母を救うことができる、また造仏の功徳は国家を盛んにするとともに一切の生きとし生けるものに及ぶ、とおしゃっています。大師は先祖供養は国を救い、総ての生とし生けるものを救うとおしゃっています。
「竊に聞く、羲和天に麗(つ)けども(太陽は高くあるが)円鏡引いて焔発す(太陽にレンズを向ければ焔を発する)、月殿雲の外なれども方諸召いて水流る(月は雲の上遥かであるが月から水を取ることができる鏡を向ければ水を生ずる)、智なき燸湿(なんしゅう・火や水)も縁あれば感応す。況や真如如智は慈悲を本とす。自覚覚他は度生を用とす。心は太虚に遍じて谷の如くに響き、声は洪音を韜(つつ)んで鐘のごとくに応ず(仏の声は大空に遍満して衆生の祈聲に感応することはあたかも鐘が衝くに応じて鐘声をだすようなもの)、利見・摂引(仏の利益・照覧・誘引)は思い絶え、言断えたり。それ君臣唱和すること首足相似(頭の命令で手足が動くようなもの)、危うきを見て命を尽くす、尸黙すべからず(しぼく・形代の如く動かないのではだめである)。
この故に去し宝亀年中に柏原の天皇 鳳闕不予(ほうけつふよ・天皇が病気)の日、故中納言従三位紀朝臣勝長、今の宮内卿従三位春原の朝臣五百枝、故の右兵衛の督従四位上紀朝臣木津雄等と相ともに祈誓すらく、四天王の像を造り奉り、山壽を延べ(無限の命を祈り)、海福を(広大無辺の福)保たてしめたてまつらんと。ここに高天卑きに聴いて影響虚しからず(四天王が卑しきわれらの祈りを受けてくださり御病気が平癒したにもかかわらず)、草草に限てられて(心労多忙で)久しく二手を韜(つつ)む(両手を袖にして使わないでいるようにやり残したことがある)、理須らく終わりを慎むこと始めのごとくなるべし(初心わするべからず)。このゆえに追って前祷を顧みて敬って吠室羅末荼(べいしらまんだ・毘沙門天)等の四天王の像四身を捏(ねや)す(乾漆像を造立する)、
またそれ厳父慈母、天の如くに覆い地の如くに載す、風樹駐りがたく桑棠(そうとう・桑と落棠)何ぞ及ばん(父母に孝養しようと思う時には父母はいない)。しかじ那舎が勝躅(しょうちょく)を追って冥焭(めいけい)を済わんには(灌頂経で那舎長者が亡父母を供養したことが出てくるように故人の霊を救うに越したことはない。三教指帰下にも「那舎が父の憂を済う」と出てきます。)。
ここを以て先考妣(亡父母)の奉為に敬って阿弥陀仏の像一躯、観世音菩薩、得大勢至菩薩の像一躯を造りたてまつる。もし復た一陽一陰なんぞよく物を化せん(一陽一陰が和合しないと物はできない)、羽を比べ鰭を比ぶるは人の常なり(比翼鳥・比目魚のように夫婦仲良いことは人の世の常)、故の内侍舟真人の氏、合きん(がっきん・結婚)して後、婦徳缺くることなし。共に金仙(仏)を仰いで同じく識誓を発す(菩提心を発す)、甘泉竭きやすく雙鳧一人飛ぶ。
昔の期約を顧みて且つ灌頂の幡一旒、堂中の小旗四十口、ならびに若干の色の物等を造れり。ここにすなわち海月の悲壮(阿弥陀仏の目は海の如く広大、慈悲の本願を垂れている)、山毫の光曜(せんごう・阿弥陀仏の眉間の白毫は山の如く高く光っている)、刀剣智を孕み(四天王の刀は智慧を表し)、矛戟(ぼうげき)魔を摧く。玉幡玲玲として(玉を飾った幡が玲玲と音をたて)宝蓋颯纚たり(さっし・微風にふかれている)、この海徳を超越して宝岸に躋のぼり攀じん。国は鬱単(鬱単越・四州のなかで一番優れた国とされる)よりも盛んに、人は非想よりも(非想非非想処天・有頂天、人壽八万才とされる)よりも寿ながからん。九野を絡い幕め(まといこめ・この功徳を全世界に及ぼし)十方を牢篭して蠉飛蠕動(けんぴぜんどう・微小な飛虫と蠕形動物)毛鱗牙角共に平等の智水に沐して不染の蓮蔵に優遊せん」

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