福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・その55

2018-11-23 | 四国八十八所の霊験
2回目の平成19年のお参りにつつ゛き、三度目の平成20年には親子三人で前神寺をお参りできました。
このときは今まで十分お参りできなかった、本堂、石槌権現社、五大堂、薬師堂、大師堂すべてをお参りできました。説明板にこうあります。
「天武天皇5年、神変大菩薩の開山。石鉄大権現を感得され石鉄山中に鎮護国家、仏道修行の地を開山された。延暦年間桓武天皇の叡信あつく、国司に命じ現石槌神社に七堂伽藍を建立し、金色院前神寺と命じられ以来勅願寺として文徳、高倉、後鳥羽等各天皇は仏像経典を奉納、又、堂塔を建立された。石鉄開山以来、石鉄山頂、奥前神寺、里前神寺、入峰表参道をはじめ七里四方の寺領を有し石鉄山の根本道場として全国より参詣の信徒に尊崇されてきた。しかるに明治の廃仏毀釈により当山の境内地すべて没収され其の跡に石鉄神社がたてられた。時の住職大律上人は石鉄大権現を奉じて現在地に移り、石鉄山根本道場とした。」

以前から石槌山にも上りたいとおもっていたのですが、A師に石槌山は遍路のついでにのぼるというような山ではない、改めて出直すべきだ、といわれそのままになっています。あとできくと多くのお遍路さんは途中で石槌山にものぼっていました。自分も遍路途中でものぼればよかったと反省しているこのごろです。

五大堂の下には石仏が並んでおられ其の中の一尊に灯明をつけるとそれは文殊菩薩様でした。 十三仏をおまつりしていたのです。 丁度1度目のお参りの時は子供の学業成就の願い事をしていたので「ありがたい。これでおかげをいただいて合格する。」と確信しました。そして紆余曲折の末半年後の19年秋、見事に望み以上のところに合格しました。なんとお礼をしてよいか分からないほどです。

64番前神寺の近くでは、新幹線をはじめた十河信二国鉄総裁が生まれています。
彼は70歳で当時誰も引き受け手のない国鉄総裁を引き受け、無用の長物だと猛反対を受ける中、広軌の高速輸送こそ将来の日本に必要と考え新幹線をつくったのです。
 当時浜松付近の新幹線工事をしていたという特定郵便局長に聞いたことがありますが、「安全のためのコストは厭うな」と総裁は大号令をかけ、予算を上回って安全経費をつけてくれたということです。また二十数年前ふとしたご縁で「弘済学園」の中村健二園長から直接聞いたのですが、十河総裁は就任直後、障害児教育の第一人者であった中村氏に直接三顧の礼を尽くして園長に迎え入れ、国鉄の障害児施設「日向弘済学園」を抜本拡充し、他の施設で受け入れ拒否された重度障害児のための日本で唯一の施設を造ったということでした。この先進性と陰徳の深さ、新幹線の安全はこういう陰徳の深さにより担保されていたのです。こういう経営者がつい最近までいたのです。 こういう徳のある経営者が今までの経済大国日本をつくってきたのです。今後の日本にはいまの薄っぺらい経営者にかわって若手のしかも徳のある経営者が輩出されなければならない・・こう思い続けて数十年経ちますが・・・。


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