福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・6

2024-01-06 | 諸経

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・6

 

・四王難、亦刀杖難と名く。

「若復有人。臨當被害。稱觀世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壞。而得解脱。」

「若復」とは、是又不定の辞。其の義上に同じ。

「臨當被害」とは、苦に遇ふなり。

「稱觀世音菩薩名者」とは、稱名は是立行、上の苦に合して是則ち機を明かす。

「彼所執刀杖」等は、應を明かす。此の中に「彼」とは刑を行ふ人なり。杖とは、刀・劔・弓・箭・鎗・槊等の殺具の総名なり。

「尋段段壞」とは、殺具を執て是を殺すに、聖力に由て段段に折る。又持ち来て殺んとすれば即ち折る。かくの如く三五七遍に及べども皆悉く折ることを明かして、彌よ神力の廣大なることをあらはすなり。應験傳に曰、晋の太元中(4世紀)彭城の人、無實に賊せらる。其の人本より黄金の観音の像を供養して、常に髻の中に在く。後に刑に臨んで刀を下すに、但金の聲を聞く。三たび斫るに頚終に異なることなし。髻を解て看るに像に三の痕あり。因って放されたり。又同年中に榮陽の京縣に高簡と云者あり。法を犯して刑に臨むに、一心に帰命せしかば、鎖切れ鉗(はさみ)脱く。刀を以て載んとすれば、刀折れ、縄を以て絞らんとすれば、其の縄寸に断へたり。因て免るることを得たり。已上。若し観心の釈ならば亦三あり。一には果報の刀杖。謂く地獄には刀山劔樹鐵葉刺林等あり。観佛三昧經の第三に曰く、阿鼻地獄に十八の刀輪地獄あり。謂く四面に刀の山あり、刀を積ること甎の如し。空中より八百萬億の極大の刀輪雨の如くにして下る。四方の刀山、一時に合して罪人の身を割切るに、其の痛に勝ずして悶絶して死す。或は獄卒、罪人を駆て刀山に登らしむれば、刀足の下を截て次第に肝心に至る。されども獄卒を恐れて匍匐て山の頂に至れば、獄卒手に刀樹を執て罪人を撲殺す。未だ死せざる間に鐵の狗心(きも)を齧(か)み、鐵の蟲唼(すひ)食ふ。肉ことごとく盡きて尋で又唱活(よみがえ)らしむ。一日一夜に六十億の生、六十億の死を受く。前世に他を悩し殺生せしもの、此の中に堕す。又十八の劔林地獄あり。縦廣五十由旬なり。(日本の一万町なり。)

劔葉・劔茎・劔果・沸銅の枝、各皆八万四千あり。罪人中に入るに無量の劔、骨を削り肉を破りて砕くこと豆許りなり。時に鐵の鳥飛び下て眼を挑り耳を啄む。大羅刹あって手に斧を把て頭を破て脳を出せば、鐵の狗来て是を舐る。死すれば唱活らしめて、復駆て樹に上らしむ。未だ樹の末に至らざるに、其の身砕けて塵の如し。一日の中に諸の樹を經、一夜の中に亦諸の樹を經。かくの如くして八万億歳を經るなり。世に愚人あって人を殺すことを好で猒(あく)ことなき者此の中に堕す。地獄の苦盡て畜生の中に生まれては、常に重擔を負ひ、死しては亦皮を剥れて五百世を經。人中に生まれては多病にして痟痩(しょうしゅ・痩せ衰える)。又五百億の刀林地獄、五百億の刺刀地獄あり。起世経の第三に劔葉地獄の相を説く。是殺生の報なり。(起世經卷第三地獄品第四之二「復次諸比丘。彼地獄中諸衆生等。經無量時。受此苦已。得從斫截小地獄出。出已馳走。求歸依處。乃至求室求宅求覆求洲求救護處。爾時即入劍葉地獄。其獄亦廣五百由旬。入其中已。惡業果故。忽有風來。吹諸鐵葉。猶如利劍。從空而墮。割截罪人一切身分」)。正法念處經の第三八に、叫喚地獄の別處に劔林・大劔林の二處あり。皆酒を沽(う)る者の報なり。大論の十六に劔林・刀道・鐵刺林の三の地獄の相を説く。是殺生邪婬の報なり。覧んと要せん人は往て検せよ。是博識を衒ふにも非ず。亦多門を勧るにもあらず。唯罪を怖れて善を修せんことを欲するのみ。又餓鬼の中には舌を斫り身を刺し皮を剥ぎ蔵を出すことあり。雑蔵經に曰、一の鬼、目連白さく、我が身の上に遍満して舌を生ず。斧来て舌を斫る。斫れば尋(すなはち)又生ず。かくのごとくすること晝夜にやまず。是何の報ぞや。目連の曰、汝前世に出家たりき、衆僧汝を差して石密槳(氷砂糖水)を作らしむ。石密塊大にして消しがたかりしを、斧を以て斫るに、盗心を以て一口の石密を喰し報なりと。又一りの鬼の曰く、常に熱鐵の針あって、我身に出入りす。苦を受ること限りなし。是何の報ぞや。目連答て曰、汝前世に調馬師或は調象師として、象馬の強て制し難きを、汝鐵針を以て其の脚を刺し或は牛の行くこと遅きをば亦針を以て刺き。是其の華報なり。果報は地獄なりと。餓鬼報恩經に曰、一の鬼問て曰く、我常に人あって諸鋸を以て我が身を割り、刀を以て皮を剥。又我が腹を破りて五蔵を出し、肉盡筋断苦切にして忍難し。須臾あて肉生ず。生ずれば又割く。是何の報ぞや。目連答て曰く、汝人たりし時、常に魑膾(なますつくり)と成て人を殺すことを主(つかさどり)知て、歓喜して作すを以て此の苦を受、今猶華報あり。果報は地獄なり、と。畜生は牙を以て相齧(か)み角を以て互いに觸(つ)く。又人の為に剉(きざみ)切られ、剥殺さる。脩羅(修羅)は帝釈天と戦うふに、刀に載られ戟に洞(とほ)さる。又帝釈般谷の力を念ずるに、即空中より四の刀輪自ら下りて脩羅の上に當て耳鼻手足一時に盡落つ。脩羅怖れ走て藕絲(はすいと)の穴の中に入る(観佛三昧經の第一にあり)(佛説觀佛三昧海經卷第一六譬品第一「是時帝釋坐善法堂。燒衆名香發大誓願。般若波羅蜜是大明呪。是無上呪。無等等呪。審實不虚。我持此法當成佛道。令阿修羅自然退散。作是語時。於虚空中有四刀輪帝釋功徳故自然而下。當阿修羅上。時阿修羅耳鼻手足一時盡落。令大海水赤如絳汁。時阿修羅即便驚怖。遁走無處入藕絲孔。彼以貪欲瞋恚愚癡鬼幻力故。尚能如是。豈況佛法不可思議)。人中の刀難を云ば、或は屍を戦場に暴(さら・曝)し、或は刀を獄處に被る。欲界の諸天は脩羅と戦ふ時、劔戟に身を損する苦あり。唯命難なきのみ。如上の刀杖の難にも若し能く観音を念ずれば地獄鬼畜等に堕すべき罪、自然に滅して其報を受ること無し。或は観音、大悲の餘りに地獄に入て罪人の苦に代玉ふ。(請観音經に又遊戯地獄大悲代受苦といへり。)

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若し戦陣に臨んでは自他の力等しからしめて自ら和睦せしむ。二には悪業の刀杖。謂く所修の善業、貪瞋痴の刀箭に破壊せられて、戒の皮、定の肉、慧(三観)の骨微妙心の髄を割断して法身の慧命を傷損し、人天の善道を退失す。若し能く三毒を怖れて観音を念ずれば、三毒に傷らるることなし。三には煩悩の刀杖。謂く聲聞は三界の生死を厭が故に見思を観ずること刀箭よりも甚し。若し一心に念ずるときは、見思の刀杖を免れ生死の苦患を脱す。縁覚及び蔵通別圓(釈尊の一代の教えをその内容によって4種(蔵教・通教・別教・円教)に分類した天台宗の教判)の菩薩は五住(見思塵沙無明・天台宗で一切の煩悩を三種に分類したもので、見思惑・塵沙惑・無明惑。)の刀箭に法身を傷られ、慧命を損はる。若し能く一心三観の観音を念ずれば五住の煩悩の刀杖を免れて二種の生死(分断・變易)を脱するなり。

 

 

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