「仮名法語集」「消息阿字観序 道範」
「阿字の相たるや、広大にして悉く徇(あまねく)たり。縮て之を三になす。形と曰ひ音と曰ひ義と曰ふ。乃至山林江湖風華雪月は咸な其の形の顕れたるなり。金口の玲たる也(仏の説法である)。鼠語の喞たる也。之を松に琴し、之を波に鼓して、得て聴くべく、揺ぎて發すべく、吹きて鳴るべく、撃ちて響くべきは斯是の音の品あれば也。須弥の太巨に芥子の太細に鶴足の長き、鳧脚の短き、説きて絶言に至り、思ひて滅慮に至るは、復是の義極まれる也。然るに慈父其の之に迷ふ者を猶ほ一籰絲(わくし・糸巻の糸)を斬るに萬條頓に断ずる如くならしめんと欲してしかも之を直指せり。」
(昔日、南山の道範和尚,有るが扣に応じて此の關(けん・入門)を挑ぐに、倭語の簡易なるを以てす。謂ひつべし「無礙旋陀羅尼門なり」(大毘盧遮那經阿闍梨眞實智品中阿闍梨住阿字觀門 「周旋往返百千萬倍入諸旋陀羅尼門總持無礙所以從阿字旋轉出生三身四智・・」)なりと。而れども尚ほ典拠の考ふべく義路の通じがたき者無きにしもあらず。囘囘(かいかい・大いなる様)海西(西海道)の覚深闍梨(十世紀、右大臣藤原師輔の子、東大寺別当・東寺長者・勸修寺長吏・高野山無量光院開祖)、好古の志厚うして據を薫し解を纂めて、其の頭に冠して式って範師の素情を顕し、式って覚王の遺輪を扶く。宜なる哉。童蒙の儕も亦諮詢を労せずして至頤(究極)に至んことを。予思へらく、既に匱(ひつ・小箱)を出るの玉、何ぞ賈待って蔵さんや。諸哉、幸に剞厥氏(出版業者)の求に随ひて之を梓に鏤め令む。
維れ時に戊午の年(延宝六年1678)季秋の一日、沙門釈華海題す。)