福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日、不瞋恚戒を破ってしまう

2019-07-03 | 法話
1、昨日、不瞋恚戒を破ってしまうことになりました。行動でなく意識の中で破ったのです。尤も不瞋恚戒どころか十善戒全体を何度も破っている身ですからいまさら不瞋恚戒を何度目かに破ったからと言ってそれほど大騒ぎするほどの事でもないのかもしれませんが・・。しかし僧籍をもって日頃経典やお大師様のお言葉をかみしめている身としてしかも古稀を迎えている身としてはかなり情けないことではありました。

2、以前から理論と現実のギャップをどうするかが大問題とは思ってきていました。
確かに理論と現実のギャップはあらゆる分野で言われてきました。例えば経済学者は必ずしも経済的に大成功しているとは言えないケースがほとんどですし、実際大学時代にも著面な経済学の教授が「経済学をやっていながら経済的に恵まれているとはいえず情けない」とこぼしていたのを覚えています。諺にも「論語読みの論語知らず」「医者の不養生」とかありますから、理論と現実のギャップは昔から各分野であったようです。

3、大師の秘蔵宝鑰にも「五経三史等の古典を読んでいても実行できる役人・家長等はいない」とあります。
「五經(周易・尚書・毛詩・礼記・春秋)三史(史記・漢書・後漢書)其の正路を示す。
金科玉條其の邪逸を防ぐ。若し主上之を行えば則ち下
無爲なり。黎下(万民)之に遵えば則ち宇内無事なり。
君臣父子の禮序あり。上和下睦の義無缺なり。
然るに今、詩を誦する者温惠淳和の心無く、礼を読むもの恭儉揖讓のを忘れたり。懲惡勸善は春秋の宗とする所、潔靜精微は周易の尊ぶところなり。
代を挙げて披誦すれども誰か孔丘の誡に契い、周公の勸に合える。能く誦し能言は鸚鵡も能く爲。言じて
行はずんば何ぞ猩猩に異ならん。
又夫、百工天に代わり、九牧(九州の長官)人を馭おさむ。七道五畿の長、三百六十の守、縣縣の令尉、郷郷の里正、家家の父子、門門の百姓、其數無量貴賎無邊なり、然れども猶ほ仁義を行う者幾何ぞ。忠孝を修むる者幾許ぞ。禮信を慎み守る者有幾ぞ。律令を犯さざる者幾人ぞ。並に上下文を読んで其の行を愼まず、貴賎口には是なれども心行は悉く非なり。諺曰う、孝經をささげて母頭を打つと。蓋し之の謂也。」  
お大師様はここでは愚僧でも大切にすべきことを論じるために、他の役人等の理想と現実のギャップを指摘されているに過ぎないのでその解消策はお示しになってはいません。))

4、では毎日の生の生活上のギャップをどう処理すべきか?『責めず、比べず、思い出さず』という大脳生理学者の本では、坐禅、呼吸法、写経、読経が有効と主張されているようです。
5、当方で思いついたのは
・現場にいる時は「光明真言」や「念彼観音力 還著於本人」と唱えその場を凌ぎ、
・後で思い出してしまうときは『責めず、比べず、思い出さず』に努めるようにしていますが、この他に仏前で「声を出して懺悔」もしています。
この「懺悔」には意外と効果があり、余計な葛藤を終わらせてくれます。
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