地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の12/22
十二、 殺害を免る霊験(今昔物語集巻十七依念地蔵菩薩遁主殺難語 第四にあり)
備中國有津郡(倉敷市矢部付近か)に宮の郷と云所に大藤の大夫文時と云人有り。先祖良家が後胤なり。家豊に子孫富めり。此の従者の中に凶男一人侍りき。其の性にして立居に謀計を巧、出入りに奇怪を執行ひ主人の心緒を乱す事数度に及べり。或時靈の不當を現(あらは)す。文時安からず。怒りて即ち従を招き寄せ討つべき由を言ふ。異義に及ばず搦めて津坂の邊(総社市地頭片山付近か。有津郡(倉敷市矢部)から津坂(総社市地頭片山)まで約6K)に行て今を限りの時、彼の男心中に祈念すらく、月日こそあれ今日廿四日也地蔵薩埵の縁日に當り此に害せらる事豈菩薩の本願虚仮に似たり。仰ぎ願くは出入り神護の誓刀杖不害の金言真ならましかば此の厄を救ひ給はば尊像を刻みて供養し奉んとぞ丹心を尽くして念じける。然るに大夫が家には客僧二三人来り談話の次(つひで)に文時今如是の科ある者を下知し侍る由を語る。僧衆手をはたと打ちて罪の軽重は兎角もあれ今(けふ)は地蔵済度利生日にして抜苦与楽事をこそ各々望むことなり。後日は何(いかかが)今日の殺害を許容あらば一家の壽福子孫の祈念たるべしとぞ示さる。文時さすが石木あんらず此の言に得心して早く彼男殺害を停止せよとぞ云付けるほどに駿馬に鞭を打てぞ急ぎけるほどに津坂には太刀取後ろに廻り既に頸を落とさんとする所に小僧かとをぼしき人叫び呼びて云やう、其の男御免しあるぞあやまちすなとぞ申すほどに太刀取り暫く四方を顧みるに彼の文時が免の使ひ策(むちうち)て馳せ来ると等しく件の由を申しければ彼の法師は消すごとくなりぬ。爰に前後の使ひ不思議の思をなす。さて凶男をつれ使ひ等各々主君に参り、先の様子を申す。文時彼の男の事の由を尋ねければ答て曰、別に存分は候はずと祈願の叚を委しく述べけり。文時手を打って大聖眼前の御慈悲を寛悦して涙面を洗けり。聞く人胸を抱き大士の方便甚深の事を讃嘆し奉りき。凢そ其の庭に集まりたる貴賤男女共涙流さぬはなし。自尒以来其の郷の上下地蔵菩薩を繪にかき或は造り奉りて渇仰を致す事今に絶ず。