福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「玉かがみ」その4

2018-08-08 | 光明真言の功徳
この光明真言は先ず貧・瞋・痴の三毒を除く。内に宝珠の形あり。蓮華あり。光明あり。そのたい月輪なり。しかるに宝珠は貪欲を除き、蓮華は水晶にて瞋恚の火を消し、光明は愚痴の暗礁を照らすなり。これらの証文、大灌頂光明真言の儀軌に明白なり。光明真言と弥陀の名号との功徳勝劣をたいべんするに阿弥陀如来一代の上の浅略、深秘の変りあれば、真言と名号との功徳、大きに変われり。そのゆえは陀羅尼の功徳は日月の如しと説きたまふ。その上、この真言一遍唱ふる功徳は、百億無量の大蔵経、同じく法門陀羅尼を誦するに等し。その功徳最勝たりと。大日如来賛嘆したまふなり。また、往生と成仏とは格別のことなるを同じようにおしやり、大にあやまれり。そのゆえは観経の疏に、見えはべるるにも、阿弥陀の名号を唱えての功徳は、三身具足の念仏にても往生まではいたりぬれど、成仏はなりがたし。いかにいはんや三心なきひとをや。故に修雑不至心者、往生千中無一と、善導和尚も往生礼賛にのべられたり。それのみならず、浄土の観経に三輩九品の往生を説きたまへども、成仏はこれなし。又、真言唱へて成仏する事は、十方世界三世の諸佛みなことごとく秘密真言の修行によりて、正覚を得ると、守護国経に釈迦如来も説かせたまへば、仏はなどか妄語はのたまはじ。光明真言は妄念不浄の心にても、唱へさせたまはば、往生はそのまま満足し、信心堅固に唱ふれば即得成仏疑ひなし。されば末代の凡夫、不浄を選ばずとなえよと、大日如来すすめたまふ。証文儀軌にあきらかなり。業報差別経にいはく、女人は仏法の蔵なり。そしるひと無間に堕すべしとあり。又涅槃経の心によるに、たとひ姿は女人なりとも自身に仏の大相ありと知らば、女人すなはち男なりと,説きたまふ。それのみならず地蔵菩薩は婆羅門女といひし女人にていませしが、慈悲第一にしてことに信心堅固なれば、菩薩にならせ給ふ。これまさに地蔵本願経の大意なり。これをもっておもふに、此の婆羅門女も十界輪円、末代の女人も十界輪円なれば、その変わりなし。然れば功徳広大の光明真言、堅固に唱へさせ給はば、女人成仏する事、などか疑ひあらじとこそ。(続)
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