福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「般若波羅蜜を念ぜば則ち疾疫癘鬼家内に入らず」

2021-08-06 | 諸経


疫病と祈り
古来疫病の記録は無数です。しかし其のたびに天下をあげて神仏に般若心経・大般若経・金剛経・仁王経等をあげて祈ってきたのが日本人です。
数例を挙げておきます。

續日本紀
↑「大寶三年703三月戊寅、信濃上野二國疫す。薬を給ひ之を療す。
・五月丙午、相摸國疫す、藥を賜ひ之を救ふ。
・慶雲元年(704元明天皇)三月甲寅、信濃國疫す。藥を給し之を療ず。
・十二月辛未、是年夏、伊賀伊豆二國疫す。並に醫藥を給ひ之を療ず。
・慶雲二年705十二月癸酉、是年諸國二十飢疫す、並に醫藥を加へ之を賑恤す。
・慶雲三年706閏正月庚戌、京畿及紀伊、因幡、參河、駿河等國並疫し醫藥を給ひ之を療ず。
・乙丑、勅して神祇に禱祈せしむ。天下疫病するに依って也。
・慶雲三年706 四月壬寅、河内、出雲、備前、安藝、淡路、讚岐、伊豫等國、飢疫す。使いを遣し之を賑恤す。
・慶雲三年706 十二月己卯、是年天下諸國疫疾し百姓多く死す。始て土牛を作り大儺す(たいな・疫鬼を追い払う)。
・慶雲四年707正月〈恐二月誤〉乙亥、諸國疫に因って使いを遣し大祓す。
・慶雲四年707 四月丙申、天下疫飢す。詔して賑恤を加ふ。但丹波、出雲、石見三國尤甚し。幣帛を諸社に奉じ、又た京畿及諸國寺に讀經せしむ。」

續日本紀
「天平七年(735・聖武)八月乙未、勅して日く「如聞、比日太宰府疫死者多し。思ふに疫氣を救療し以て民の命を濟わんと欲す。是以って彼部神祇に奉幣し、民の爲に禱祈す。又府大寺及び別國諸寺に金剛般若經を讀しむ。」仍ち使ひを遣り、疫民に賑給し并びに湯藥を加へしむ。又其長門以還、諸國守、若介、専ら齋戒道饗祭祀す。」


続日本紀・宝亀五年(774)四月十一日
「夏四月己卯。勅(光仁天皇)曰。如聞。天下諸国疾疫の衆は医療を加ると雖ども猶ほ未だ平復せず。朕は宇宙に君臨し黎元(れいげん・庶民)を子育す。興言念此。寤寐為労。其れ摩訶般若波羅蜜は諸仏の母也。天子之を念ずれば、則ち兵革災害国中に入らず。庶人之を念ぜば則ち疾疫癘鬼家内に入らず。
思欲此の慈悲を憑み、彼の短折(短命)を救む。宜しく天下諸国に告げよ。男女老少・起坐行歩を論ぜず、咸く摩訶般若波羅蜜を念誦せしめよ。其文武百官向
朝赴曹、道次の上及び公務の余には常に必ず念誦せよ。庶こひねがわくは陰陽叶序・寒温調気・国に疾疫之災無く・人は天年之寿を遂ぐことならしめむ。普く遐邇かじ・遠近)に告ぐ、朕(光仁天皇)の意を知れ焉。」

類聚國史
「大同三年(808・平城天皇)正月乙未、・・・勅、頃者、疫癘方熾、死亡稍多・・宜しく三諸大寺及畿内七道諸國に命じて、大般若經を奉讀し、又京中病民に米並鹽豉等を給せしむべし。
二月丙子、大極殿に御し名神に祈禱す。天下疫氣方に熾さかんなるが爲也。
三月癸未朔、天下諸國に七日之内共に仁王經を講ぜしむ、疫病の為也。
庚寅、内裏及諸司左右京職仁王經を講説す。疫病を濟す為也。」


・なお「祇園祭り」は疫病退散の「御霊会」が元となっていますがその濫觴は三代実録にあります。
『三代実 録』貞観五年(863年)五月二十日(神泉苑における「御霊会」が、朝廷で行われた 初見の史料)。
「神泉苑において御靈會を修す。左近衛中將從四位下藤原朝臣基經・右近衛權中將從四位下兼行内藏頭朝臣常行等を勅遣す。監會の事、王公卿士赴集し共觀す。靈座六前設几筵を施し花果を盛陳し恭敬薫修す。延律師慧逹を講師と為し、金光明經一部・般若心經六巻を演説す。雅樂寮伶人に命じて樂を作し帝近侍皃童及良家雅子を以て舞人と為す。大唐高麗更出而舞。雜伎散樂競盡其能。 此日宣旨し、四門を開苑し都邑人出入縦觀を聽す。所謂御靈とは、祟道天皇・伊豫親王・藤原夫人 及觀察使・橘逸勢・文室宮田麻呂等是也。並坐事被誅し冤魂属。近代以来。疫病繁發。 死亡甚衆。天下以爲。此災。御靈所生也。京畿より始めて外国に及ぼし、夏天秋節に御靈會を修し 往々不斷ならしむ・・」。

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