自分も過去からの無数の先祖のお陰で生まれてきているし、現在も無数の動植物を食べて生命をつなぎ、光合成により生じた空気を吸い、不思議な存在の水を摂取して生きている。そして例外なく死んでいく。自分を取り巻く山河・自然もお互いに影響しあい無限に変化してきており、やがてそれら載せている地球も他の惑星と同じように終焉を迎える。宇宙そのものもビッグバンを繰り返しているのかもしれない。こうしてみると自分も外界もすべては「縁」でできておりしかも変化してきわまりない、つまり「無常」です。このすべての「縁」とすべての「無常」を合わせると般若心経でいう「空」となりこれがつまり「自他を含む宇宙全体」でありあえていえば「真如」「大日如来」ということなのではと思うこの頃です。
そしてこの「真如・宇宙」は顕教では無色無形無作用で説法はしないことになっていますが、密教ではこの「真如・宇宙」そのもの(つまり大日如来)に身・口・意の作用(三密)があり、そのため身口意の業(三業)をもつ凡夫も十善戒により大日如来たる「真如・宇宙」と一体化することができる、と説いているのだとおもうようになりました。
そしてこの「真如・宇宙」は顕教では無色無形無作用で説法はしないことになっていますが、密教ではこの「真如・宇宙」そのもの(つまり大日如来)に身・口・意の作用(三密)があり、そのため身口意の業(三業)をもつ凡夫も十善戒により大日如来たる「真如・宇宙」と一体化することができる、と説いているのだとおもうようになりました。