福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

坂東28,29番巡拝記

2013-08-29 | 開催報告/巡礼記録
27日福聚講で坂東二十九番千葉寺と二十八番滑河山 龍正院(滑河観音)をお参りしました。
当日は明け方まで土砂降りだった雨も上がりさわやかな秋空が広がりました。
講元だけ早くついたので千葉寺まで歩きましたが途中千葉の町中で老婆が寄ってきて「こういうところでもお遍路さんに会うというのは珍しいです。どちらまで?」ときかれたので「坂東を回っておりまして今日は千葉寺のお参りに行きます」というとありがたいことですといって去っていきました。遍路姿で歩くといろいろな人が寄ってきて話かけます。これも仏縁を結んでいただく一助になっているのではと勝手に悦に入っています。
後から7人講員がバスで千葉寺に着き御法楽をあげました。
坂東観音霊場記にみる第二十九番千葉寺の縁起です。
「第二十九番下総千葉
下総の國葛飾郡千葉海上山観音院は千葉寺となずく。生身の観音説法のところと勅して三界六道青蓮千葉(せんよう)寺と号す。
聖武帝の御宇、天平二年秋八月、行基菩薩武蔵國をへて当国の海辺を過ぎたまふ。・・・池田の里に大いなる池あり。水金色にして栴檀の香りあり。中央に雲気集まり、雲中に微妙の聲有って、三界六道皆令解脱と聞。・・千葉の青蓮華一茎生じ、水上に出て清香を送る。・・其の中に十一面観自在尊光明赫奕として説法したまふ。・・ここにおいて大士其真容を模して、丈六の十一面の像を彫。・・聖武皇帝叡感の余り、三界六道青蓮千葉寺と云。震筆の御額を下賜ふ。如来蔵経に云。「爾時世尊於栴檀重閣。正坐三昧
而現神變。有千葉蓮華大如車輪。其數無
量色香具足而未開敷。一切花内皆有化佛。
上昇虚空彌覆世界猶如寶帳。一一蓮花放
無量光。一切蓮花同時舒榮。佛神力故須
臾之間皆悉萎變。其諸花内一切化佛結加
趺坐。各放無數百千光明。」
智度論にいわく。「蓮華有三種。一者人華二者天華三者菩薩華。人華大蓮華十餘葉。天華百葉。菩薩華千葉。」菩薩花とは浄土蓮華なり。不空羂索観音経に云。「爾時觀世音菩薩摩訶薩。説是陀羅尼眞言時。三千大千世界六返大動。其補陀洛山上下周圓溥遍從地。一時涌出衆寶蓮華。觀世音菩薩摩訶薩臍中。放大光明出現千葉衆寶蓮華」大日経疏に云。「西方蓮花有多種一者鉢頭摩(はんどま) 二者優鉢羅(うはつら) 三者倶勿頭(くもつず) 四者 泥盧鉢羅(でいろは) 五者分荼利迦 (ふんだりきゃ)也。」・・・

・巡礼詠歌「法のたね三界六道に華さきて普き門に匂ふ千葉寺」

・正徳年中の事なるに。旅客三十余人乗り合い、芝鉄砲洲を出帆して、下総の國へ渡るところに、夜中に俄に悪風起こり、帆柱楫砕けて船覆り,船中の諸人皆溺死す。中に一人坂東巡礼あり。武蔵國・・弘明寺を納め千葉寺へ趣く路なり。此者計らずも折れたる楫に取り付き、・・千葉の浦登戸の浜に著。海中にただよふこと一日一夜、すでに飢寒て息断とす。しかるに間近く鐘の聲耳に入る。・意付,眼を開て傍を見るに、その身海藻に包まれながら。楫を抱いて磯辺におり。万死を逃れて陸にあがり、浜辺の家の介抱を受。しばらく人意地つけども背負たる皮籠を失へば、旅中の調度一物もなし。其村里を托鉢修業して漸く、千葉寺へ参着しに、寺僧らこのものを見て曰、旅人は武蔵野の國の巡礼ならずや。今朝一人の旅僧来たり、我同行水難に逢ひて、気分不快にして途にとどまる、夕方には参着すべし。この皮籠を渡したまはれ。我は近郷を托鉢すべしと、・・・これを見るに紛れも無く我が皮籠なり。納経帖そのほかの調度まで水にもうるおわず、・・・聞者みのけだちて感信せり。このもの危うき海上を渡ることも単に千葉寺への志なればあに大悲者この難をすくいたまはざらんや。・・・」
境内には大師堂もあり、苔むした燈籠が立っていました。また樹齢千年という何度も廃寺になりつつも蘇った千葉寺を見守ってきた公孫樹もありました。有難い木です。
ここからまた駅に戻り成田線で滑川駅までいき二十八番滑河山 龍正院(滑河観音)にお参りしました。駅から歩いて二十分位です。ここもご本尊は十一面観世音菩薩さまです。
坂東観音霊場記にみる二十八滑河山龍正院 (滑河観音)の縁起です。
「二十八番下総滑河
総の下州楫取郡滑河山龍正院は往古此の地の領主小田宰相将治の開基。伽藍締講の制は慈覚大師の上足、修円法師の功なり。本尊十一面の像は、常州下総之境川、朝日の淵より出現なり。長さ一寸二分、竜宮の鋳造にして閻浮檀金の聖容なり。当寺本尊の出現の由来は・・承和五年戌午の夏・・山野に雪積て・・凶歳にて民家衣食欠く。・・ここに当地の領主小田宰相将治は。常に人を憐の情厚し。特に慈覚大師の門に入り深く三寶帰依の人なれば・・老若の餓死を見るに忍ず、九穀を出して施行を布、倉庫を傾て金銭を散ぜどもなお扶助の力普く及ばず。若しそれ人力にて不能事は佛神の冥助を請うほかなし、かって聞く、妙法蓮華経は法王髻の中の如意宝珠にて、世に萬寶を雨ふらすの徳ありと。ねがわくはこの経力勝能をもって民家のために災厄をのぞかんと。壱于を構え法華千部の講会を設け、二十八部の頓写を行ず。」満日に至り、小女現じ、我は朝日の前という。・・我いま汝が志願を助んと。・・此の地の小田川の淵より乳色の霊水湧出る。汲みおきて民家の患いを避けよと。
・ ・・小田川河岸に至るに・・老僧居たまふ。告げて曰、閻浮檀金の大悲の像、いまこの小田川の淵より出たまふ。至心に此の像を持念せば、所願必ず成就すべし。且つ此の淵より沸き出ずる甘露の乳水を嘗めよ。・・・将治感涙を流して尊像を拝し、又湧出る乳水を掬するに、其の甘味世にたとふべきものなし。試に枯れたる草木に注げば、枯葉は緑の色を出す。即ち民家に教え汲与るに、飢えたるものは気力を復し、死したるものは蘇生。将治一宇の香堂を建て、小田川出現の像を安置す。是此の滑河寺の濫觴なり。・・・
巡礼詠歌「湧出る薬の水をなめがわの淵に誓の船ぞ浮かべる」

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