観音霊験記真鈔19/33
西國十八番山州京六角堂如意輪像、御身長一尺五寸(45.5㎝)頂法寺とも云へり。
釈して云く、今此の観世音も如意珠の如く一切衆生の願に随って一切満足するところの徳義を備玉ふ薩埵なる故に如意輪王と名く。是の故に菩提流支三蔵所譯の如意輪陀羅尼經の説に由るに、佛、鶏喇斯山に在して無央數の菩薩と倶なりき。爾時に観自在菩薩坐より起ちて長跪合掌して前んで佛に白して言さく、世尊我に大蓮華峯金剛秘密無障礙如意輪陀羅尼明三昧耶あり。能く一切の勝福事業に於いて求める處皆如意成就を得ると云々(如意輪陀羅尼經 唐天竺三藏菩提流志譯 序品第一「如是我聞。一時佛在雞喇斯山。與無央數菩薩衆倶。爾時觀自在菩薩摩訶薩。從座而起整理衣服。長跪合掌前白佛言。世尊我有大蓮華峯金剛祕密無障礙如意輪陀羅尼明三昧耶。能於一切勝福事業。所求皆得如意成就」)。又大心陀羅尼明に云く、唵鉢頭麼振跢麼抳摩訶入嚩攞虎𤙖(おんはんどましんだま にまかにばらここ)(如意輪陀羅尼經)。已上。
此の呪を誦すれば諸罪消滅すること也。或書に云く、若し常に法に由りて明呪を誦念する者は此の身を捨てて後、則ち西方極楽世界に生じ所生の處に随って常井宿命を識り乃至悪道に堕せず。此の如意輪陀羅尼明は無量の功徳ある故に海を喩ふるに極りなし。又云く、若し能く毎日六時に此の陀羅尼を一千八十遍誦する者は、或は阿弥陀佛を見、或は極楽世界の宮殿楼閣荘厳の事を見、或は極楽世界の菩薩會衆を見、或は十方一切の諸佛菩薩大衆一切の集會を見、或は聖観自在所在し玉ふ補陀落山七寶の宮殿を見乃至所造一切の罪障皆消滅することを得て諸佛菩薩と同じく一所に處し不退地に住せん、と。已上如意輪陀羅尼經又は大心陀羅尼明(如意輪陀羅尼經中に在る、唵鉢頭麼振跢麼抳摩訶入嚩攞虎𤙖(おんはんどましんだま にまかにばらここ))に挙る意なり。
西國十八番山城國京六角堂御本尊生身の如意輪観音御長一尺二寸と云へり。聖徳太子七生の守り佛となりたまへるとかや。昔上宮太子諸國を回りて靈處を窺ひ玉ひけるに、淡路の濱より一つの箱、波に漂ひ来る。太子この箱を見付けて取り上げ開き見玉ふに如意輪の尊像なり。悦び御守り佛として身を放ち玉はず。然るに用明天皇の御宇二年(586)に守屋の逆臣を殺して後、四天王寺を建立し玉ふ。故に材木を集めふ時、此の地に(今の六角堂)来たり泉水にして御身を洗ひ玉ふとて御衣を脱ぎ玉ひ彼の像を木の枝に置き浴水に身を浄め玉ふなり。終わりて佛像を取んとし玉ふに重ふして挙らせ玉はず。太子おそれ玉ひて佛に向ひ祈誓し玉ふに其の夜の夢の中に佛告げての玉はく、我太子の為に七世なり、今また此地に縁あり。故に我挙らざるなりとの玉ふ。夜明て後さらば堂舎を構へて佛像を安置せんと思召す處に一人の老女来る。太子彼に問玉はく、我此地に佛舎を造らんと思ふは何にとの玉ふ。姥答て言く、此地の片原に大きなる杉あり。朝毎に紫雲おほへり。是霊木なりと云へば、太子
其の朝に是を見たまふに誠に紫雲おほへり。則ち是を伐り一木にして成就せしめ、敢て餘木を雑ずと云へり。其堂六稜あり。其後桓武天皇遷都ましまして官司城路を畫く。此堂路にあたる。官人権者の建立なる間、是をしりぞけんことを愁へたる處にたちまち黒雲下り覆て此堂を取り北に去る事五丈15m。因て條里に煩なし。故に其の道を六角通と云へり。或説に云く、此本尊は高麗國光明寺の本尊なり。しかるをかの国の僧徳胤法師太子を頼みて迎へ奉ると云へり。歌に
「我が思ふ 心の内は六の角 只丸かれと 祈るなりけり」
私に云く、歌の意は上の句に「六の角」と云へるは五塵六欲の煩悩を指すなるべし。下の句に「只丸かれと祈る」と云は、観世音菩薩を念じ奉れば自ら如是の煩悩も消滅するが故にいのる心の切なること最も殊勝なり、況や此の如意輪の像の六臂在すも其由なきにしもあらず。前段に委しく釈するが如し。古歌に
「迚(とても)なら 角のあるこそそいよけれ 餘り丸きは轉びやすきに」
返歌に
「角あればもののかかりてむつかしや 心に心丸かれとせよ」已上。
西國の歌に引き合わすべし。