「高野春秋」「(永延元年987冬十月)二十九日、東寺に於いて三昧耶戒を授け奉る。(円融天皇覚如法皇の)御歳二十一、僧正(寛朝)七十三」
円融天皇は村上帝の第五皇子。同母兄冷泉の譲位により11才で即位。藤原氏実権を持ち始める最初の帝。花山帝に譲位するが寛和の変で花山帝は円融帝の息一条天皇の譲位。円融帝は幼帝を指導して強い発言権を持ったという。
寛朝。祖父は宇多天皇(寛平法皇)祖父寛平法皇の下で出家し、仁和寺寛空から灌頂を受ける。仁和寺別当・東寺長者・西寺別当・東大寺別当。広沢湖畔に遍照寺を建立。ここから廣澤流といわれるが廣澤流は益信・宇多天皇(寛平法皇)・寛空・寛朝と次第。天元四年981、宮中に五壇法を修した時生身の降三世明王が示現されたという。平将門の乱時、寛朝は勅命により神護寺の大師刻不動明王を奉じて下総公津原で修法し平定後、現地に安置し現在の成田山新勝寺となっている。「理趣経」の点符をつける等して東密声明の中興、著に「成就妙法蓮華経次第」「金剛界次第」「不動次第」。