地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の5/9
五、汁谷福田寺の像
洛東汁谷東臺山福田寺(現在の京都市下京区の時宗 東岡山 福田寺)は往昔尊氏将軍文和四年(1355年)十一月二十八日に加賀爪甲斐の権の守行貞隠岐守秀村二人の寄進せるらるる地なり。古は六條の末東山汁谷妙法院御門跡の境内なりしが天正の比(1573年から1592年)洛中の寺院を遷す事ありて唯今の地になりき。凢そ當寺の本尊は参議小野篁の作なり。人王五十二代嵯峨皇帝の時の人也。事跡は日本の傳記等に充たれば云にをよばざることなり。愛宕郡六道と云地より冥途に通参ありて炎王に対し六地蔵の像を作りて東山鳥邉野と云所に六箇所の堂を構へ安置し玉ふ。其の一なり。應仁乱世の砌に夢の告げありて此の地に来たり玉ふなり。其の旧跡は今の東山南無地蔵と云地これなり(現在の東山区に当たる地にあった葬送の土地)されば何に「をろかなれども別して此の本尊は生身の地蔵菩薩と同じければ冥路を思はん輩常にあゆみをはこぶべきなり。委曲子細ありといへども彼の寺の縁起にゆずる。