復た次に究竟して離妄執には、當に知るべし、染法・淨法は皆な悉く相
待にして自相の説くべきものあることなし、是の故に一切法は本より已來た、
非色・非心・非智・非識・非有・非無なり、畢竟して不可説相なりと。
而も言説するあるは、當に知るべし如來の善巧方便にして假に言説を以て衆生を引導するのみ。其の旨趣は皆な念を離れ眞如に歸せしめんがためなり。一切法を念ずれば心生滅せしめて實智に入らざらしむるを以ての故なり。(また次に畢竟して妄執を離れる為にはこう知るべきである。覚りも迷いも皆相対的なもので不変の堅いものがあるわけではない。この故に一切は本来物質でもなく、精神でもなく、知恵でもなく、知識でもなく、在るのでもなく、無いわけでもない。究極的には言葉では表現できないものである。それなのになお言葉によって表現しようとするのは如来の方便である。便宜的に言葉を用いて衆生を導くためなのである。その意図するところは衆生が迷いを離れて真如に帰らせたいとの思いからである。なぜかというと衆生は外界を見てひとたび心が動くとそのために真実の智慧に入るのを妨げられるからである。・
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