明治の浄土宗の傑僧・福田行戒上人の歌に犬を悼む歌というのがあります。「犬を殺した人は後の世には犬に生まれて殺される運命となる」と言っています。
犬をいためる長歌
我が庵いほに たえずゆきかふ 母と子の 犬ぞありける あしたには 庭に乳ちのみて 夕べには 門かどに眠りて この日ごろ なれにしものを 前さきの世の 報むくいしものか うつし世の わざはひなるか ゆくりなく 昨日のあさけ 犬とりに 打ち殺されて 母と子の しかばねまでも なしと聞く あないたましと 卒塔婆そとばたて 施食供して 思へらく 身を毛衣に 包まれて 形を横に 生まれきて 吠ゆるほかには 声もなく あさるほかには わざもなく 狗子仏性は 名のみして 顕現いづれの 日とかせむ しづのをだまき 静かにも 思ひしとけば 後の世に けふ殺されし その犬は 人と生まれて 後の世に けふ殺したる その人は 犬と生まれて 後の世は また殺すらむ また殺されむ
反歌
我もまた惜しとこそ思へ惜しと思ふ命は同じ命ならずや(後落葉集)
犬をいためる長歌
我が庵いほに たえずゆきかふ 母と子の 犬ぞありける あしたには 庭に乳ちのみて 夕べには 門かどに眠りて この日ごろ なれにしものを 前さきの世の 報むくいしものか うつし世の わざはひなるか ゆくりなく 昨日のあさけ 犬とりに 打ち殺されて 母と子の しかばねまでも なしと聞く あないたましと 卒塔婆そとばたて 施食供して 思へらく 身を毛衣に 包まれて 形を横に 生まれきて 吠ゆるほかには 声もなく あさるほかには わざもなく 狗子仏性は 名のみして 顕現いづれの 日とかせむ しづのをだまき 静かにも 思ひしとけば 後の世に けふ殺されし その犬は 人と生まれて 後の世に けふ殺したる その人は 犬と生まれて 後の世は また殺すらむ また殺されむ
反歌
我もまた惜しとこそ思へ惜しと思ふ命は同じ命ならずや(後落葉集)