福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

御大師様の先祖供養についてのお考え・・22

2019-06-22 | 先祖供養
御大師様の先祖供養についてのお考え・・22
・御大師様は、金剛頂経を写経し修することによりその功徳により故人の魂を助けるとともに功徳を有情すべてにも行き渡らせる、とおしゃっています。
「弟子真境が亡孝(亡父)の七七の斉を設くるための願文」
「それ恩河深くして底なく、徳山峻しくして天を衝く、林烏なほ反哺を知る、尤霊(万物の霊長たる人間)豈よく遺忘せんや。尼父(孔子)はその終りを慎むことを誡め、金仙(お釈迦様)はその棺を担うことを示す。忘れがたく報じがたき者はそれただ厳父の徳なり。伏して惟んみれば先孝故石州録事参軍弓の氏は庭訓余りあり(子供をよく諭した)。提撕極まりなし(指導が行き届いていた)、常にねがいき、天、善に福して、帝、私に寵したもう、弓門光て爪瓞(かてつ・瓞=てつ は小さな爪で、大きな爪から小さな爪につながって行くということ)のごとくに蕃からんことを。何ぞ図らん、降年短くして(天寿短命)返真促かならんとは(早死にするとは)。弟子等心憂のひに焼かれ肝悲しびの戟に摧く。烏光矢の如くび激して七七たちまちに臨めり。この故に先孝の奉為に敬んで金剛頂瑜伽真実大教王経一部三巻を写し兼ねて斎筵を設けて三宝を供養す。鐘梵断えてまた続き、香花散じてまた聚まる。伏して願わくはこの善業により焭魂けいこんをたすけ奉らむ。三十七の聖(金剛界曼荼羅の三十七尊)足を本誓にうるおし、一乗の甘露頂に佛種を灌がん。慧眼を開いて不生を見、心蓮を敷いて円鏡を鑒みん。法水を汲んで尽くることなく、佛力用いて窮まらざらん。無尽の法水を灑いで無辺の有情を沐して共に長夜の迷室を照らして早く常楽の覚路に遊ばん。」

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