現代人の霊体験・・2
・東日本大震災で被災者は無数の霊体験をしています。河北新報では「魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く」(新潮社、奥野修司著)を紹介しています。
「「どこにも行かないよ」とほほ笑む39歳の妻と1歳の娘。「56歳の兄から届いた「ありがとう」のメール。」「仮設住宅の天井に響く8歳の息子の足音。」「ハグしてくれる57歳の夫」。「「イチゴが食べたい」とねだる3歳の孫。」この他にも無数の霊体験が残されています。
NHKスペシャル「亡き人との再会」(2013年8月27日放映)では
「目の前で水の中に沈んでいった義母が、ある晩、先に亡くなっていた義父と仲良く一緒に、庭の窓から部屋に入って来ました」。「幼稚園で死んだ子どもが、仏壇の前に座っていて、私(母親)の方を見ていたのです」。「妻と息子2人が死んだのですが、ある日、不思議な少女に手を繋がれて、長男と二男が部屋の中に立っていました」などとありました。昨年高野山東京別院の法話では「東日本で胃震災で犠牲になった幼児の誕生日に玩具が突然動き出した」「避難所の寺に犠牲になった老婆が幽霊になって家族を探しに来た」という話もありました。
・「死んだらおしまい、ではなかった (大島祥明 (2000人の葬儀を行った僧侶)PHP研究所)」は「4人に1人が、自分の死を認めていない。霊魂として迷っている。葬儀は、故人に死を理解させるために行っている。」といっていますし、
・「あの世はあった。文豪たちはみた、震えた」(三浦正夫著)では遠藤周作、三浦朱聞、菊池寛、土井晩翠、小山内薫、新渡戸稲造、夏目漱石などが神秘体験を作家活動のエネルギーにしていたことがリアルにかかれています。
・佐藤春夫の「幽香嬰女伝」には佐藤の昔の水子の霊が、長男の結婚を祝うかの如く「息子の縁談が始まったばかりの秋の一夜、私のベッドの裾の方にあるカーテンの入り口のところの造り付けの洋服箪笥のほの白い扉を背景にカーテンをくぐり抜けて部屋に進み入ろうとする姿でためらふやうに佇んでいる人影がぼんやりと見えるのであった・・あれはせがれの妹に相違ないと思った・・」と現れた様子が書かれています。
・矢作直樹東大医学部教授の『人は死なない』は自身の医者としての見取り体験から『人は死なない、魂は残る』という趣旨を述べています。その中で母の霊と話すところがあります。著者の母は一人暮らしでしたが心臓発作で死後数日して発見されます。その後霊媒体質をもつ人が現れ母の霊が心配していると著者に告げ著者はその人を通じて母の霊と話すことになります。「・・まず最初にFさん(場所を提供した人)がEさん(霊媒体質の人)に向かそって「矢作美保子さんですね」と声をかけました。するとそのときです、いきなりEさんが前かがみになり・・『直樹さんごめんなさいね。心配かけてごめんなさいね、ごめんなさいね』と話し始めました。」・・筆者は母に心配してないことを告げ、死因や死亡日時をきくと検死結果通りの答えが帰ってきます。さらに霊界でお祖父さん、お祖母さん、伯母さんにもあったといいます。そしてなぜ母が自分に謝るのか聞くと著者が毎晩母への対応を悔やんでいることがわかるからと答えます。そしてここが重要ですが著者が『毎月いっている納骨堂へのお参りは続けていいんでしょう』と聞くと『それはうれしいわ』と答えています。最後に「『これでもうこちらには来ないのですね』と聞くと『ええお別れよ元気でね』と晴れ晴れした口調に、わたしは拍子抜けしました。親が子を突き放す動物の子別れのようでした・・、とあります。
・東日本大震災で被災者は無数の霊体験をしています。河北新報では「魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く」(新潮社、奥野修司著)を紹介しています。
「「どこにも行かないよ」とほほ笑む39歳の妻と1歳の娘。「56歳の兄から届いた「ありがとう」のメール。」「仮設住宅の天井に響く8歳の息子の足音。」「ハグしてくれる57歳の夫」。「「イチゴが食べたい」とねだる3歳の孫。」この他にも無数の霊体験が残されています。
NHKスペシャル「亡き人との再会」(2013年8月27日放映)では
「目の前で水の中に沈んでいった義母が、ある晩、先に亡くなっていた義父と仲良く一緒に、庭の窓から部屋に入って来ました」。「幼稚園で死んだ子どもが、仏壇の前に座っていて、私(母親)の方を見ていたのです」。「妻と息子2人が死んだのですが、ある日、不思議な少女に手を繋がれて、長男と二男が部屋の中に立っていました」などとありました。昨年高野山東京別院の法話では「東日本で胃震災で犠牲になった幼児の誕生日に玩具が突然動き出した」「避難所の寺に犠牲になった老婆が幽霊になって家族を探しに来た」という話もありました。
・「死んだらおしまい、ではなかった (大島祥明 (2000人の葬儀を行った僧侶)PHP研究所)」は「4人に1人が、自分の死を認めていない。霊魂として迷っている。葬儀は、故人に死を理解させるために行っている。」といっていますし、
・「あの世はあった。文豪たちはみた、震えた」(三浦正夫著)では遠藤周作、三浦朱聞、菊池寛、土井晩翠、小山内薫、新渡戸稲造、夏目漱石などが神秘体験を作家活動のエネルギーにしていたことがリアルにかかれています。
・佐藤春夫の「幽香嬰女伝」には佐藤の昔の水子の霊が、長男の結婚を祝うかの如く「息子の縁談が始まったばかりの秋の一夜、私のベッドの裾の方にあるカーテンの入り口のところの造り付けの洋服箪笥のほの白い扉を背景にカーテンをくぐり抜けて部屋に進み入ろうとする姿でためらふやうに佇んでいる人影がぼんやりと見えるのであった・・あれはせがれの妹に相違ないと思った・・」と現れた様子が書かれています。
・矢作直樹東大医学部教授の『人は死なない』は自身の医者としての見取り体験から『人は死なない、魂は残る』という趣旨を述べています。その中で母の霊と話すところがあります。著者の母は一人暮らしでしたが心臓発作で死後数日して発見されます。その後霊媒体質をもつ人が現れ母の霊が心配していると著者に告げ著者はその人を通じて母の霊と話すことになります。「・・まず最初にFさん(場所を提供した人)がEさん(霊媒体質の人)に向かそって「矢作美保子さんですね」と声をかけました。するとそのときです、いきなりEさんが前かがみになり・・『直樹さんごめんなさいね。心配かけてごめんなさいね、ごめんなさいね』と話し始めました。」・・筆者は母に心配してないことを告げ、死因や死亡日時をきくと検死結果通りの答えが帰ってきます。さらに霊界でお祖父さん、お祖母さん、伯母さんにもあったといいます。そしてなぜ母が自分に謝るのか聞くと著者が毎晩母への対応を悔やんでいることがわかるからと答えます。そしてここが重要ですが著者が『毎月いっている納骨堂へのお参りは続けていいんでしょう』と聞くと『それはうれしいわ』と答えています。最後に「『これでもうこちらには来ないのですね』と聞くと『ええお別れよ元気でね』と晴れ晴れした口調に、わたしは拍子抜けしました。親が子を突き放す動物の子別れのようでした・・、とあります。