現代人の霊体験・・3
・最近の映画にも霊の存在が前提に作られているものが出てきました。「岸辺の旅(2015)」では残された妻の前に亡夫が出てきますし、「母と暮らせば」でも原爆で死んだ息子が残された母と暮らします。
・「・・靖国神社で昭和52年に職員が通路の隅でクシャクシャになった戦闘帽を発見して展示ケースに入れたところ翌日早速老婆が現れ、「夢に息子が出てきて靖国神社に来てくれというのできたら展示ケースで息子の名前がはいった帽子をみつけた」(「大師は今だおわしますか」添田隆昭)」
・2009-11-14の福聚講ブログには、Sさんから頂いた「同僚が戦没者を供養した話」を載せています。
「戦後50年に合わせた企画で、ミクロネシア・トラック島に沈んだ旧日本軍徴用の船の残骸に潜るという取材でカメラマンや照明の取材者達が同じように「助けてくれー」とか軍歌の大合唱まで聞いた。取材帰りにタクシーが迷って靖国神社まで行った。」
・インターネットには次のような投稿もありました。
「「昨日、靖国神社の境内で、血だらけの兵隊さんを見た」「課外学習の時間に靖国に行ったら、木の影に立ってた。かわいそうに、やけどしてたの」とか。そういう話は、靖国神社近くの学校だったので、しょっちゅうでした。高校時代のある夕方、部活も終わっての帰り道。わたしは駅へ急ごうと、友達と近道をしていました。靖国神社を通り抜けるコースです。まだ夕日は明るく残っていました。境内の銀杏の葉が金色に色づいて、散歩するにはちょうどいいような夕方でした。すると突然、背後から「すみません!」と男の人の声がしました。 振り返ると、そこには軍服を着た若い軍人さんがにっこり笑っているのです。
「すみません。友達と約束をしているんですが、いま何時でしょうか?」
「あ…あの…、○時です。」 慌てて答える私に、 「そう。ありがとう!」 兵隊さんはまた微笑むと、くるっと背を向けて、銀杏の木の下に消えていきました。しばらく口も利けなかった私達は、靖国を抜けてから、やっと口を開きました。「ね、今の兵隊さん、背中に弾の跡があった…。」 「うん。こめかみにも跡があった…。」 弾に当たると、服の周りが焦げるんだね、などと取りとめのない話をしながら、私達はなんだか悲しくてたまりませんでした。・・・わたしは靖国神社というと、あの兵隊さんを思い出します。
明るい笑顔やはきはきした口調を思い出す度に、ただ純粋に悲しくなります。今でも時々、思うのです。あの兵隊さんは、友との約束を守るために、いまでも銀杏の木の下で待ち続けているのだろうか。友達をずっと待ちながら、彼は何を思っているのだろうか、と…。」
・私自身も数十年前に笠岡沖の神島八十八所を巡っていた時、遍路宿に突然霊媒体質の中年婦人が現れ、其の人に亡父の霊が乗り移りしばらく話したことがあります。「今どこにいるの」と聞くと「奥の院」といいました、その直後、奥の院に墓を移転することになったのも不思議な因縁です。
・最近の映画にも霊の存在が前提に作られているものが出てきました。「岸辺の旅(2015)」では残された妻の前に亡夫が出てきますし、「母と暮らせば」でも原爆で死んだ息子が残された母と暮らします。
・「・・靖国神社で昭和52年に職員が通路の隅でクシャクシャになった戦闘帽を発見して展示ケースに入れたところ翌日早速老婆が現れ、「夢に息子が出てきて靖国神社に来てくれというのできたら展示ケースで息子の名前がはいった帽子をみつけた」(「大師は今だおわしますか」添田隆昭)」
・2009-11-14の福聚講ブログには、Sさんから頂いた「同僚が戦没者を供養した話」を載せています。
「戦後50年に合わせた企画で、ミクロネシア・トラック島に沈んだ旧日本軍徴用の船の残骸に潜るという取材でカメラマンや照明の取材者達が同じように「助けてくれー」とか軍歌の大合唱まで聞いた。取材帰りにタクシーが迷って靖国神社まで行った。」
・インターネットには次のような投稿もありました。
「「昨日、靖国神社の境内で、血だらけの兵隊さんを見た」「課外学習の時間に靖国に行ったら、木の影に立ってた。かわいそうに、やけどしてたの」とか。そういう話は、靖国神社近くの学校だったので、しょっちゅうでした。高校時代のある夕方、部活も終わっての帰り道。わたしは駅へ急ごうと、友達と近道をしていました。靖国神社を通り抜けるコースです。まだ夕日は明るく残っていました。境内の銀杏の葉が金色に色づいて、散歩するにはちょうどいいような夕方でした。すると突然、背後から「すみません!」と男の人の声がしました。 振り返ると、そこには軍服を着た若い軍人さんがにっこり笑っているのです。
「すみません。友達と約束をしているんですが、いま何時でしょうか?」
「あ…あの…、○時です。」 慌てて答える私に、 「そう。ありがとう!」 兵隊さんはまた微笑むと、くるっと背を向けて、銀杏の木の下に消えていきました。しばらく口も利けなかった私達は、靖国を抜けてから、やっと口を開きました。「ね、今の兵隊さん、背中に弾の跡があった…。」 「うん。こめかみにも跡があった…。」 弾に当たると、服の周りが焦げるんだね、などと取りとめのない話をしながら、私達はなんだか悲しくてたまりませんでした。・・・わたしは靖国神社というと、あの兵隊さんを思い出します。
明るい笑顔やはきはきした口調を思い出す度に、ただ純粋に悲しくなります。今でも時々、思うのです。あの兵隊さんは、友との約束を守るために、いまでも銀杏の木の下で待ち続けているのだろうか。友達をずっと待ちながら、彼は何を思っているのだろうか、と…。」
・私自身も数十年前に笠岡沖の神島八十八所を巡っていた時、遍路宿に突然霊媒体質の中年婦人が現れ、其の人に亡父の霊が乗り移りしばらく話したことがあります。「今どこにいるの」と聞くと「奥の院」といいました、その直後、奥の院に墓を移転することになったのも不思議な因縁です。