地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の9/22
九富士大宮司霊験を得る事(今昔物語集巻十七駿河国富士神主帰依地蔵語 第十一にもあり)
後一条院の御宇(十一世紀)駿州富士郡大宮の神主大夫和氣の光時は年来夫妻ともに地蔵の行者也。但し此の人思に元来神職の身なれば沙門を敬すべきに非ずとて往来の僧に下馬する事もなかりき。或月の或月の二十四日に家を出て馬に乗り去る方に往きし。二十七八の年齢と見べし僧に逢ひぬ。光時馬にのりながら物とひたてまつらんと言んとすれば忽然と失(うせ)ぬ。大に怪しみ家に皈る其の夜の夢に僧来りて曰、今日路にて逢ひたる僧なり。我即ち地蔵也。汝常に我を信ずといへども曽って僧を敬ひたまふ事なし。是則ち邪見の致す処なり。たとひ持戒破戒、若しは長若しは幼、皆須らく敬ひを深くして軽慢することを得ざれ。若し斯の旨に違はば交(こもごも)重罪を得ん。されば佛法僧の三種體相、假と雖も用て真容を表す。之を敬すれば永く長流を絶ち。斯を蔑ろにすれば現に災難を免れず未来は苦報を招く。必ず失念なかれとあららかに宣べ言(たま)ふかと思ば夢覚めぬ。光時落泣して改悔し其の後は是非を云はず敬しけると日本記(やまとぶみ)にも見へたり。信ずべし慎むべし。
引証。十輪経の偈に云、瞻葡華は萎みたりと雖も諸餘の華に勝る。破戒の諸比丘猶諸外道に勝れたり(大方廣十輪經・相輪品第五「一切白衣不應侵毀輕蔑破戒比丘。皆當守護尊重供養。不聽謫罰繋閉其身乃至奪命。四方衆僧。若至布薩自恣之時。聽使驅出不共法事。三世僧物飮食敷具皆不聽用。一切羯磨説戒律處。悉皆驅出不得在衆。而悉不聽王及大臣加其鞭杖繋閇謫罰乃至奪命。爾時世尊。而説偈言
瞻蔔華雖萎 勝於諸餘華
破戒諸比丘 猶勝諸外道」)