福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の8/22

2024-08-20 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の8/22

八称名員數授け給ふ事

皇城東北小原(大原)の側に源光法師(平安時代後期の天台宗の僧。持宝房あるいは持法房と号す。 比叡山西塔北谷の学僧で、法然が13歳で最初に師事)と云人生平八宗を兼学中にも在所は天台山の麓西北の谷也ければ台家の法門をも形の如く學びける。宿縁の開発するが底意に真言密教こそ大日覺王の自證にして顕教随他の及ぶ所に非ずと貴く思ひける程に高野大師の第三の弟に逢ひて密印加持の作法を相傳してけり。されども或時南都に詣して法相三論の意地をも學び亦三井寺に通参して倶舎等の論場にも連ねらる。然りと雖も諸教の趣宗門の習も名こそかはれ共真實底は唯一如三昧の旨にして言語道断して心行所滅の理也。然るに源光思惟するに教意の掟と内心の加行とを比量するにまさに一報の縁つきなん時如何にしてたやすく妄想の境を離れて大佛果に到るべき自心に開解してこそあらめと深く大蔵にはいり諸經の説相を看辨するに何か勝劣を存じて是の經こそ易く得脱すべきはなし。或經の中に一の称名を縁じて長く三途の苦趣を免るべき佛います、或は沙門の身を現じ、或は童男童女の身を現じ衆生を利益す、地蔵菩薩と号し奉る。一念乃至十唱の輩の三途八難の苦にかはり其の身を九品三善の浄刹に生ぜしめ給ふと見へければ、最後の化導師何の佛か此の尊に優るべきと思究め、地蔵信心の行人とぞ成ぬ。且猶思念纔に一念一唱だも捨てたまはず,同じくは六道四生の群類諸共に苦界を免れしめたき、と毎日名号を六万辺なんど唱奉りて十界圓照の果位に廻向し万事を放下してげれば若しや中道實相の密理に背き即心即佛の覚悟にや違ふらんとぞをほふされども此の僧いまだ生身の地蔵を拝し奉らざるほどに、伏して願ふはせめて夢中になりとも生身の尊兒を拝し奉らん事を祈誓て切に申しける程に或暁しばらく坐睡しけるに終に見奉らざる沙門の四十有餘なるが錫杖を打ち振り立ち向かひ玉ひて、吾は地蔵菩薩也、汝平生真切の修行を感じ且(しばら)く示現す然りと雖も汝迷心を以て吾身を求む、遠く求る事なかれ、我と汝と二無ず。能く證念するときは汝即ち我也。さのみ心を苦しめ数辺を唱ずともあれとのたまふ。聖餘有難くて申しけるは數辺を唱奉ることは功を積み徳を累み奉んとの志ばかりと申せば凢そ一念十證は只以て同じく然りといへども汝が為に金剛不壊の筭數(算数)を示さん能くたもてんやと言(のたま)ひ、毎日我が名を一百八辺唱ふべし、是則ち金剛不壊三昧と号す。上古は人生一百年を解すれば百年は三万六千日也。一年中毎日一百八辺の法は三百六十日計筭すれば三万六千辺也。是何の不足の行なるべき。汝能く持つべしと言(のたまへ)ば聖合掌して能く持つと三辺答奉れば幻の如くなり玉ふ。弥よ肝に銘じて其れより後は一百八辺文字清濁正しく唱奉る。薩埵の本願にも合(かな)ひ自行化他の利益も殊更に目出度く世の貴び佛の如く生年八十二の春臨終正念にして入滅せられき。・・信ぜざるべからず。

引証。本願經に云、是人更に能く三七日の中に一心に地蔵の形像を瞻禮し其の名字を念じて萬遍に満れば當に菩薩無邊身を現じて乃至畢竟じて菩薩摩頂を得ん

地藏菩薩本願經見聞利益品第十二「是人更能三七日中一心瞻禮地藏形像。念其名字滿於萬遍。當得菩薩現無邊身。具告是人眷屬生界。或於夢中。菩薩現大神力親領是人。於諸世界見諸眷屬。更能毎日念菩薩名千遍。至于千日。是人當得菩薩遣所在土地鬼神終身衞護。現世衣食豐溢無諸疾苦。乃至横事不入其門。何況及身。是人畢竟得菩薩摩頂授記」)。

 

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