今日は第三次元寇に備えて若狭の国の寺社に異国降伏の祈祷をさせた日
史料綜覧 巻五 / 弘安七年(1284)正月四日条
四日(中略)幕府 若狭守護代ヲシテ 国中ノ寺社ニ異賊降伏ノ祈ヲ為サシム
天皇は後宇多天皇。執権は北条時宗。
弘安四年には弘安の役が終わったばかりでしたが、フビライは第三次日本侵略計画を諦めず、弘安七年1284、十月には日本侵攻用の船と水夫の募集を開始しています。弘安の役後も緊張感を持っていた時宗以下当時の指導者の様子が分かります。武道でいう「残身」です。
今日は第三次元寇に備えて若狭の国の寺社に異国降伏の祈祷をさせた日
史料綜覧 巻五 / 弘安七年(1284)正月四日条
四日(中略)幕府 若狭守護代ヲシテ 国中ノ寺社ニ異賊降伏ノ祈ヲ為サシム
天皇は後宇多天皇。執権は北条時宗。
弘安四年には弘安の役が終わったばかりでしたが、フビライは第三次日本侵略計画を諦めず、弘安七年1284、十月には日本侵攻用の船と水夫の募集を開始しています。弘安の役後も緊張感を持っていた時宗以下当時の指導者の様子が分かります。武道でいう「残身」です。