今日は「六日年越し」の日
七草は旧暦1月7日の節句で、「人日」とも呼ばれました。1月7日を「七日正月」、その前日を 「六日年越し」として祝う地方もあります。 . . . 本文を読む
第六、 顕密対弁章
(顕教と密教を比較すると、顕教では本当の成仏はできないが真言陀羅尼の法門に依る時はいかなる罪人も助かり成仏を得ることができる。)
真言密教はいかなる重罪の者も助からぬといふことなし。この故に六波羅蜜経に「或は又、有情、諸の悪業・四重八重五逆無間罪謗法等経一闡提等種々の重罪を造れるを消滅する事を得しめ速疾に解脱し頓悟涅槃すべきものには而も彼が為に諸陀羅尼蔵を説く」(大乘理趣六 . . . 本文を読む
・承和二年835一月六日大師御年62歳、奏請により東寺の功徳料千戸の内二百戸を東寺の真言僧に施入、また平城旧宮の田畑四十余町を高岳親王(真如)に賜る。続日本後紀・承和二年835正月壬子(一月六日)の条に「大僧都伝灯大法師位空海、奏曰く『弘仁十四年詔により真言僧五十人東寺に住し三密門を修せしめんと欲す。いままさに舎堂すでに建つ、修講いまだ創らず。願はくは且って東寺に入れらる官家功徳料の千戸の内二百戸 . . . 本文を読む
良寛和尚は宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕、神官で庄屋の父のもと出雲崎でご出生、天保2年1月6日〔1831年2月18日〕74歳で遷化されています。真言宗や浄土宗、日蓮宗、神道にも通じておられたといいます。良寛様の書の線は「見えないものを書いた線である」と言われたことがあります。ああいう線は書けるものではないということでしょう。私は良寛様が修行された岡山の圓通寺近くに親戚もあり、また新潟に . . . 本文を読む