以下の伝教大師から弟子の泰範にあてた手紙にあります。
弘仁三年812 十月二十七日に伝教大師が奈良よりの帰りに乙訓寺に大師をお尋ねになったことが分かります。交流は細やかであったということです。
「比叡山老僧㝡澄敬白
應に灌頂を受法する事
右㝡澄去月二十七日(弘仁三年十月二十七日)頭陀の次を以て乙訓寺に宿し空海阿闍梨に頂謁す。教誨慇懃具に三部の尊像を示され又曼荼羅を見しむ。倶に高雄に期す。㝡澄先に高雄山寺に向ひ同月二十九日(弘仁三年十月二十九日)を以て阿闍梨(弘法大師)永く乙訓寺を辞し永く高雄山寺に住す。即ち告げて曰く、空海生年四十期命盡す可し。是を以て佛を念ぜんが為の故に此の山寺に住す。東西欲せず、宜しく所持の真言法㝡澄阿闍梨に付属すべしと。惟、早速に今年の内に付法を受取せよと云々。其の許す所を計るに諸仏の加する所なり。来る十二月十日を以て受法の日と定め已畢ぬ云々。伏して乞ふ、大同法求法の故に早く叡山に赴き今月調度を備へ今月二十七日を以て高雄山寺に向ふ、努々我が大同法忍留すること莫れ。委曲の状、光仁仏子に知らしむ。謹んで状す。
弘仁三年十一月五日
高雄旅同法範阿闍梨座前」