福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は花山法皇御生誕の日です。

2023-10-26 | 法話

今日は花山法皇御生誕の日です。
花山院は968年11月29日(安和元年10月26日) に御生誕になっています。冷泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。三条天皇の異母兄。花山源氏(神祇伯を世襲した伯王家、のち断絶)の祖。17歳で即位19歳で仏門に入り退位しています。大鏡などに御出家のいきさつ
が書かれていますがそれよりも法皇は西国・坂東・秩父霊場の開祖としての方が有名です。どの霊場記にも花山法皇のことが出てきます。その意味で懐かしい方です。
・西国三十三カ所(西国三十三所)観音霊場は養老二年(718年)徳道上人により開創されましたがその約300年後、西国霊場を中興されたのが花山法皇とされています。(『中山寺来由記』『谷汲山根元由来記』)
・坂東霊場も花山法皇が最初に佛眼上人等と廻ったとあります。
また、沙門亮盛が江戸時代に著わした『坂東観音霊場記』には「(花山)法皇那智山を出でて大和の長谷寺に入り、諸国修行の願を立て三七日夜宝前に持念したまふ。その満ずる日の暁に至って香の衣の老僧来り親り法王の頂を摩でて『汝有為の栄花を厭ひ、早く無為の正路に帰く。是我が随喜する所也。我れ坂東八州に於て身を三十三所に現ず。其の能く霊場を知るは河州石河寺の仏眼上人なり。彼と倶に坂東巡礼を始行してあまねく道俗男女を導くべし。誠に後生善処の方便には此第一の修行なり。この故に彼の閻魔大王は徳道上人を冥府に請じ巡礼功徳の印璽を賜ひしぞ』と告げおわって帳中に入り賜ふ。法皇夢覚めて叡感あり、石河寺へ御駕をめぐらし、佛眼上人・弁光上人・良応上人・元密上人・傳光僧都・満願上人・威光上人すべて八人の御同行にて
正歴元年庚寅の春、初めて鎌倉へ御下向あり。佛眼上人を先達として坂東八州を巡礼したまえり。・・」また永禄三年(1560)に書かれた『杉本寺縁起』には「永延二年戌子の春、忝も法皇御順礼の勅命有て、当山を以て坂東第一番と定め御順礼有り、夫より今に至るまで貴賎の順礼絶せずとなり」と記されています。
・秩父霊場も花山法皇が性空上人・徳道上人等と最初に回ったとされています。
「新編武蔵風土記稿・巻之二百十六 秩父郡之一 総説」に、 「播磨國 書寫山 性空上人 閻王の招によりて、獄中に妙典一萬部を誦し、獄中の罪人其聲を聞もの浄土に生ると、閻王 歓喜の余り くさぐさ珍寶を与え、且は衆生済度のために今に人の知らざる秩父順禮のことを示し、功徳ある證にとて石札を性空に 與へて誓をなす、茲に於いて性空 閻浮に皈り、梵天の誘引によりて文暦元年三月十八日、秩父卅四番の觀音を順禮す、同行の者 彼是 十三人、世に是を権者と稱せり、其権化と云ものは、閻魔大王・倶生神・花山法皇・性空上人・春日開山・醫王上人・白河法皇・ 長谷徳道上人・良忠僧都・通觀法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王權現 是なり... 」

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