福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教の大意(鈴木大拙、昭和天皇御進講より)・・・その11

2017-10-11 | 法話

人間を幾何学でいう点に喩へることができる、此の点に三条の線が集中または交差してゐるとみてよい。この三条の線とは一つを物理的・自然的といひ、今一つを知性的・道徳的といひ、最後の一つを霊性的と云ふことにしておきます。人間はこれら三線の集中する一点に立っているのであるが、この意識に強弱の度はある。・・一般の人間は第一と第二の線に対する強い自覚を持っているが、第三線にたいするもの(霊的自覚)は曖昧模糊であるといってよい。併し全然これを無視して非有とするわけには行かないのです。・・知性は自分だけでは何もできないと承知するやうになっても中々自己の全部を放下し能はぬのです。霊性線への飛び移りは命がけの行為ですが、これをやらない限り悩みはぬけないのです。さうしてこれは飛び移りであって、一歩一歩の連続的進みゆきではありません。百尺竿頭一歩を進めると申しますが、時間的にも空間的にも文字通りの超越です。


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