福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言句義釈・・その3

2011-06-13 | 諸経
この故に若しこの悲智、自体あり、方所あり、我法性を知り、衆生を憐れむといはば、万法天然として衆生はこれ実の衆生、賢聖はこれ実の賢聖にして修得にあらず、業報にあらず、しからば諸仏は能化にあらず、衆生は所化にあらず。教化の理なし。この故に諸法増益の有を離れ、損減の無を離れ、有無の相違を離れ、非二の戯論をはなれたり。このゆえに本不生の言は増益の有を空じて、余の三謗を離するなり。この四謗を離れては四義みな立す。このゆえに「うん」字の因の義とは、いわく心性この四謗を離れたり。すなわち一切如来の菩提心なり。またこれ不共真如の妙体なり。このゆえに自性清浄心あり。この心性もとより自不生なり。性と相と互いに立す。相望するに有無にあらず。このゆえに諸仏あり。衆生あり。能家所家断惑証理の道本不生なるがゆえに皆立するなり。これを「うん」字の因の義となす。また一本の儀軌の説に依るにいわく、「うん」「はった」「そわか」と、次のごとく調伏、息災、成就の句なり。いわく諸悪を調伏し、諸善を成就し、三雑染の災過を息滅するなり。己上は離釈なり。不空羂索経の中に離合両釈の証文あり。まず、離釈の証文てゃ経文の処処に多くいわく、大如意宝、大灌頂秘密曼荼羅印等と云々。即ち真言のなかの「まに」の句なり。







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