福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言句義釈・・その2

2011-06-12 | 光明真言の功徳
「まに」(おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだら まに はんどまじんばらはらばりたやうんの「まに」)の句は貧業を除いて大富饒を得、内には慳貪の罪を除いて無貧の善根を成す。「はんどま」の句は敬愛を成さしめ、衆人の愛敬を受く。内には瞋恚を除いて慈悲なす。「じんばら」の句は大勢力を具さしめて、怨敵を降伏す。内には愚痴を除いて大知恵を得るなり。このごとく世出世の障碍を除滅するはこれ即ち転なり。無量の大願を成満するはこれ即ち易の義なり。次に「や」といっぱ、第四転、即ち為音なり。いわく、この毘盧遮那如来大智大悲不空大印の為に印せらるるところの故に、この三不善根の汚泥の中においてすなわち如来の無量の功徳を印現す。このゆえに衆生わずかに名字を聞かばすなわち如来の加持を得、ないし草木土砂を呪すれば即ち佛徳を印現すなり。次に「うん」とはこの真言の種子なり。理趣釈には大楽金剛不空三昧耶本誓心真言と名ずく。即ちいまの真言の大意によれば毘盧遮那如来不空大印の心真言なり。大印とは即ち本誓なり。二名相順するなり。即ち理趣釈にいわく、「うん」字とは因の義なり。因の義とはいわく菩提心を因となす。即ち一切如来の菩提心、またこれ一切如来の不空真如の妙体なり。恒沙の功徳みなこれより生ず。この一字に四字の義を具す。「か」字をもって本体となす。「か」字は「あ」字より生ず。「あ」字一切法本不生なるによるがゆえに、一切法因不可得なり。その字の中に「う」字の声あり。「う」字の声とは一切法損減不可得なりその字の頂上に円点半月あり。すなわちいわく「「ま」なり。「ま」字は一切法我の義不可得なり。我に二種あり。いわく人我、法我なり。この二種はみなこれ妄情の所執なればなずけて増益の辺となす。もし損減増益を離るれば、すなわち中道にかなう。
いまこの真言の大意によって解せば、「はんどま」の大悲、「じんばら」の大智をもって因となして毘盧遮那如来不空大印「まに」無尽の福徳聚を生するがゆえに因の義といふなり。しかるに「あ」字門に入れるはこの三法みな本不生なり。いわく妄情の中には我執によて如幻の報を受く。この我報中に居するに十方立することあり。自他彼此差別して増益損減の謀を生じて、我はこの物を有す、彼はこの物を有せずという。これみな法性を謗するなり。いわく四大五蘊の中には本より主宰なし。十方誰がためにか立せん。本性虚空にして体自ら明白なり。内に十方性を照らすを大智となずく。外に衆生の相に滞るを大悲となずく。(続)
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