福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q「二王様はどういう仏様か」

2011-09-21 | Q&A
結論は寺の入り口に二王様を置くのはお釈迦様の命によるもの(毘那耶律)で、二王様と云うのは四天王(持国、増長、広目、多聞天)のうち二体を当てた場合と、正法念誦経にいう「密跡金剛神」の場合とがあるということです。

密教辞典では「二王門というのは四天王(持国、増長、広目、多聞天)のうち二体を当てた場合をいう」とされます。

また谷響集には
「毘那耶律に『給孤長者が寺をつくるとき、仏は、門の両頬において執杖の薬叉を描くべしといわれた』とある。
正法念誦経には『昔国王の夫人あり、千子を生めり。・・第二の夫人は2子を生めり。一人は梵王となって千兄の転法を請せんと願う。次は密跡金剛神となって千兄の教法を護らんと願う。・・』とある。経によれば密跡金剛神となるのは一人のみであるが今、伽藍の門にあるのは2つの像である。これは応変無方によるもので多いからといって咎められることはない。毘那耶律の執杖の薬叉とはこの金剛と同じ。」とあります。

ウイキペヂアでは「金剛力士は、仏教の護法善神である天部の一つ。サンスクリットではVajradhara(ヴァジュラダラ)という。開口の阿形像と、口を結んだ吽形像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(本来は二王と書く)の名で親しまれている。
原語は「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」の意。
像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表わすものが多い。こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表わしている。

仁王像で日本最古のものは法隆寺中門に立つ塑像であるが、後世の補修が甚だしく、吽形像の体部はほとんど木造の後補に変わっている。仁王像は阿形・吽形の一対として造像するのが原則であるが、これを1体のみで表わした執金剛神と呼ばれる像がある。東大寺法華堂(三月堂)の本尊の背後の厨子内に安置された塑造執金剛神立像(国宝)がその例で、形勢や表情は一般の仁王像と似ているが、裸形でなく甲冑を着けている点が異なる。東大寺法華堂にはこれとは別に一対の仁王像があり、阿形像が「金剛力士」、吽形像が「密迹力士」(みっしゃくりきし)と呼ばれている。これも着甲像である。
千手観音の眷属である二十八部衆の中にも仁王像があるが、この場合、阿形像は「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう)、吽形像は「密迹金剛力士」(みっしゃくこんごうりきし)と呼ばれる。
現存する大作としては建仁3年(1203)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像を挙げねばならない。造高8メートルに及ぶこれらの巨像は、平成の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いておよそ2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられている。」
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