第五七課 死
私たちは、結局死ぬことを知っておりますが、不断は忘れて平気でおります。そしていよいよ死期に直面すると非常に恐れ、悲しみます。もうどうしたらいいのか、絶望と淋しさに泣き叫ぶ不幸な人があります。本当に人間が死ねば、もう後は何も残らず、一切空滅に消え失せてしまうのでしょうか。人間が万物の霊長だなんて威張っていても、たかだか七、八十年経てば、すっかり跡形もなくなってしまうのでしょう . . . 本文を読む
4月6日の坂東三十三観音巡礼は、9:50つくば駅改札口集合です。
此処からバスで、二十五番、筑波山大御堂にお参りし、筑波山にもケーブルで登りお参りします。今年は観音霊場は御開帳の年です。どなたもお気軽にお出かけください。 . . . 本文を読む
「Dr. Kent M. Keith ケント・M. キース 逆説の戒律 それでもなお、人を愛しなさい―
人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」という記事がありました。
「・・・・People really need help but may attack you
if you do help them.
Help people anyway.
本当に助けが必要な人 . . . 本文を読む
第五六課 達人の病苦観
釈尊在世の昔、釈尊が滞在せられた毘耶離城びやりじょうに維摩詰ゆいまきつという偉い仏教の体得者がいました。その偉さにおいては釈尊に一目置くだけで、あとの十大弟子などは足元へも寄り付けません。しかし身分は俗士の資格で職業も執り、家庭も形造っていました。
ある日維摩は病気をしたので釈尊は弟子に命じて病気見舞にやられます。ところが維摩は右に述べたような仏教の体得者です . . . 本文を読む
Q,心経の「ぎゃてい、ぎゃてい・・」の意味は?
A,古来ここは訳さないとされてきましたが、お大師様は訳しておられます。其の他の訳も英訳も含めランダムに載せておきます。
・「ぎゃてい(梵字)」の二字は諸蔵の行果を呑み、「はらそう(梵字)」の両言は顕密の法教を孕めり。」「初めの「ぎゃてい(梵字)」は聲聞の行果を顕し、二の「ぎゃてい(梵字)」は縁覚の行果を挙げ、三の「はらぎゃてい(梵字)」は諸大乗最勝の . . . 本文を読む
「掌の中の無限」(マチウ・リカール(分子生物学者にしてチベット仏教僧侶)とチン・スアン・トアン(ヴァージニア大教授(天体物理学)共著)のなかから共感するところを抜書きしていきます。・・・「現象は流動する関係の働きであり、単に他の現象との依存の中で現れるだけのことです。つまり現象というのは固有の性質を持つ自立した存在というよりは、私たちの意識の眼差しによって特殊化された『関係』なのです。・・・」 . . . 本文を読む
第五四課 金
金かねは、人生完成の途中の小遣銭です。これがなくても他に融通が利くはずです。大自然は大きいから、何かで、伎倆で、智慧で、作物で、自然物で、都合がつくはずです。しかしこの小遣銭がないとなかなか心細く、都合の悪いものです。それでは、金はいくらでもあってよいかと言うと、余り沢山持ち込むと、また、不幸になります。「人間は十万円以上は貯めてはいけない。それ以上になると、その金の始 . . . 本文を読む
満開の桜に触発されて桜の歌など西行法師の歌を中心に、おもいつくままに書いておきます。桜は古来 道を求める人も多く詠んでいます。
「吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな・・西行」
「おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲・・西行」」
「吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき・・西行」
「ねがわくは 花の元にて春死なむ そのきさらぎの 望月のこ . . . 本文を読む