第六七課 光明中のハイキング
米国の詩人ホイットマンが、動物を詠んだものの中にこういうのがあります。
「全大地において、一疋も体裁よき彼らはあらず。また不幸のものもあらず」
何となく、ほほ笑まれる詩句であります。いかにも動物を明るく扱った詩句であります。仏天の加護を信じ、この世の中を光明裡に過す人も、何から何まで有難ずくめ、結構ずくめで暮せるというわけではありません。寧ろ一方に理想の . . . 本文を読む
第六六課 現実と理想
世間では、仏教以外のある宗教や、ある哲学や、ある思想および道徳などは、理想と現実とを一緒に致しません。理想とは抽象的のもの、現実を超越したものだとして、理想を必ず現実から引き離して、高く上にかかっているとかあるいは将来その理想が遂げられるだろうという期待だけして、今直ぐ手が届かんと決めてかかっております。
これに反して、仏教では、私たちの平常の生活が取りも直さず . . . 本文を読む
第六五課 唯物と唯心
みごとな柿の一籠を地方の未知の人から送って来ました。形のよく整った御所柿です。
好意があればこそ柿の贈物がある。これ唯心的の見方であります。柿の贈物があるので人の好意も現し得られる。これ唯物的の見方であります。
事実は両方を兼ねているでしょう。私たちは贈り手の好意を懐おもうことなしにこの柿を手に執ることは出来ず、さればといって掌に載っているものは山野の秋に熟 . . . 本文を読む
第六四課 因果ということの説明
だいぶ古い言葉ですが、「親の因果が子に報い」とか、「何の因果でこの憂き苦労」などという言葉は浄瑠璃や唄の文句に出て来ます。そして大概、これらの言葉は、人間が悲境のときか、人生の暗黒面に見舞われたときに使われる常套語きまりことばになっております。「親の因果で子の出世」とか「何の因果でこの幸福しあわせ」などという文句を唄や浄瑠璃で聴いたことがありません。
. . . 本文を読む
第六三課 智慧の説明
普通一口に「智慧」と言いますが、仏教の方では、これを二つに分け、「智」と「慧」にして、その意味にはっきりした区別をつけております(智は俗諦に関する知力、慧は真諦に関する覚力)。
私たちが生れてから物心がつき、人から教えられて箸を持つ術すべ、着物を着る術、学校通い、読み方、書き方、算術――みな「智」の方に属します。それらは誰かに教えられ、自分でも経験を積んで得られ . . . 本文を読む
第六二課 仏、菩薩は染物屋にあらず
こんなことくらい誰でも判っていそうなもので、まだ判らない人があります。
仏、菩薩に祈請を籠めて、その応験がないという不平であります。
その祈請の筋を聞いてみると物を誂えるような塩梅あんばいで、時間なども気短かに区切って注文してあります。これではまるで染物屋へ物を誂えると同じ調子で、人間の思慮や力量以上の大きな了見の仏菩薩に向って頼む様子ではありま . . . 本文を読む
第六一課 信仰生活のあらまし
仏教を信じたものは、どんな生活をするのでしょうか。そのあらましを二つ三つ述べて見ましょう。
第一に安らかな気持ちです。
仏教では、この大きな天地も、私たち小さな人間のいのちも、その根もとで一つに親密に繋がり融け合って、分け距へだてがないことを教えております。どんな孤児みなしごでも、寂しくないどころか、始終、母の手の愛撫をひしひしと感じられて安らかさに充 . . . 本文を読む
自分はお蔭の塊と思っています。その時は分らなくても何十年かの後に必ずお蔭であったとわかります。とにかく続けてお参りし、信心すれば永い間にすべては好転します。保障します。・・あらゆる聖人がおかげはある、救われると喝破しています・・ . . . 本文を読む
第六〇課 信仰
一 天地の間に漫々と湛えている大生命の海。いつの原始むかしから湛え始め、いつの未来まで湛え続くとも判らぬ海。涯はてしも知らぬ海。あらゆるものを育みそだて、あらゆるものを生きて働かせ、あらゆるものを葬り呑んで行く海。その中のこまかい組立てを見ますと、山あり川あり、月あり星あり。国の興亡、民族の盛衰。右や左の運動もその中で行われれば、恋愛、結婚、出産、老衰の人生の過程も繰り返される。飛 . . . 本文を読む
・・およそ一切衆生が六道を輪廻するというのは悪の因業によりて悪の果報を感じ、善の因業によりて善の果報を感ずるのである。・・・
衆生は無量の重罪ありて自力をもって往生することあたわず。
よって佛願、陀羅尼の二種の他力に乗ずべきに候。
初めに佛願の他力と申すは、およそ十方の衆生をたすけたまはんとて浄土を構へ、請願を立てたまふ。いわく、東方薬師如来は浄瑠璃浄土を構え十二大願を立てて衆生を引導したまふ . . . 本文を読む
第五九課 迷信の話
迷信については、私が西洋にいたとき聴いたおかしい話があります。
白耳義ベルギーの首都ブラッセルから独逸ドイツ国境の方へ半日ほどドライヴしますと世界大戦当時最も激戦を極めた地方へ出ます。その遺跡も沢山残っていますが、それでもこの辺一帯の天然の風景は、欧州の中で珍しい平和なのんびりしたものです。一面の青麦の畑は見渡す限りうち続き、澄み切った碧みどりの空に風車がゆるゆる . . . 本文を読む
Q,十八空とは
A、大智度論巻四十六に在ります。
復次に須菩提。菩薩摩訶薩に復た摩訶衍あり。所謂、内空・外空・内外空・空空・大空・第一義空・有爲空・無爲空・畢竟空・無始空・散空・性空・自相空・諸法空・不可得空・無法空・有法空・無法有法空なり。須菩提、佛に白して言さく。「何等をか内空となすや」。佛言く。「内法とは眼耳鼻舌身意に名ずく。眼の眼とすは空なり、常に非ず滅する故なり。何以故。性として自ら . . . 本文を読む
第五八課 信仰に入る前の準備
現代人は、折角、今日のような発達した文化の知識があるのですから、この知識を働かして、突き止められるだけは突き止めて、万遺漏のない心用意をしてから、さて「信仰」に入ります。そうしたものはあとで心の揺ぎがありません。それをしないでいきなり「信仰」に入ろうとすると、兎角、遺憾な事や迷いが邪魔をします。
よく世間の中には、宗教と科学とは両立しないとか、宗教は文化 . . . 本文を読む